不可逆的

「不可逆的」という言葉を知ったのは、20代の頃にブックオフでアルバイトをしていたときでした。大学を卒業して就職した会社を1年で辞めて、ふらふらしていた時期です。ブックオフで働きながら、お店にある本を買って帰っては、読みふけっていたものです。ブックオフは中古本のリサイクルショップですから、当然ながらアルバイトの私の役割のひとつに、本の買い取りがあります。本の新しさや内容、売れ行きによって値付けをする作業はとても楽しかったです。

 

ある日、お客さんが持ってきた本の帯に「不可逆的な~」という文字を見つけ、聞き慣れない言葉だけどどういう意味だろうと興味を持ち、家に帰ってから調べてみました。すると辞書には「元に戻ることができないことや性質のもの」と書かれていました。「可逆的」は元に戻ることができるという意味で、その反対が「不可逆的」ということですね。

たしかに世の中には、「可逆的」なものもあれば、「不可逆的」なものも存在します。たとえば、本棚から本を手に取って、パラパラと頁をめくり、再び本棚に戻すことは「可逆的」です。対して、お皿を床に落として割ってしまった場合は、二度と元の状態に戻すことはできませんので「不可逆的」。時間は過去から現在、未来へと流れて行きますので、時を巻き戻すことは不可能ですから、時間は「不可逆的」ともいえますね。誰かと喧嘩してしまって険悪になったとしても、互いが歩み寄って仲直りすることもできますし、修復不可能なまでこじれることもありますので、人と人の関係は「可逆的」であり、「不可逆的」にもなり得ます。

 

このように「可逆的」にも「不可逆的」にもなり得る、曖昧で微妙なことは私たちの周りに結構多く、それらの扱いには慎重に気をつけなければいけません。なぜかというと、「不可逆的」になってしまったら最後、もう二度と元の状態には戻らないからです。「可逆的」だと思っていたのに、ひとつ間違うと「不可逆的」になってしまうことがありますし、気がつくと「不可逆的」になってしまっていたことなど山ほどあるのです。「不可逆的」になってしまうと大変なのは、その後、ずっとその状態が続くことです。元の状態に戻らないというのはそういうことであり、つまり、一生続くということです。

 

何かを始めるとき大切なのは、2つのことを問うてみるべきです。ひとつは、①本当にこれを始める必要(意味)はあるのだろうか?もう1つは、②始めてみたとして、もし意味や効果がなければどのタイミングで止めるか(元に戻すか)?ということです。

 

仕事においても同じことが当てはまります。私の経験上、この2つの問いについてきちんと考えずに、とりあえずやってしまうことが多すぎる気がします。結局、意味のない仕事ばかりが増えて、しかも止める基準がないので気がつくとずっとやり続けることになってしまう。そんな仕事が介護の現場でも多いのではないでしょうか。「不可逆的」となる前に意味のない仕事をやめることができれば、そもそも最初から意味がない作業を始めていなければ、その時間をもっと大切な人と人の対話に当てられたはずなのに。

 

今の日本のマスク・消毒社会は「不可逆的」であり、少なくとも私たちが生きている間はずっと続くと思います。感染症に対する効果などの科学的議論はなされず、何の基準もないまま、私たちは政治とマスコミに言われるがままマスクをつけ消毒を始めましたが、今となっては周りの皆がしているからしているのがほとんどの人たちの現状だと思います。特にマスクに関しては視覚的に分かりやすく、周りの誰かが外さないと外せないというジレンマに陥ってしまうことは最初から分かっていたことでした。その構造に陥ってしまった時点で膠着状態となり、「不可逆的」になります。私たち大人世代だけならまだしも、学校教育の現場を見ると、今の子どもたちもその子どもたちも未来永劫、家から一歩外に出たら、暑い夏もマスクして過ごさなければならないのは可哀そうだと思うのは私だけでしょうか。

 

 

最初は些細なことであっても、いったん「不可逆的」になってしまうと、自分だけではなく、周りも巻き込んで一生やり続けなければならなくなります。もう二度と元には戻れないのです。その大変さを考えると、本当にこれをする必要(意味)はあるのだろうか?してみるとしても、もし意味や効果がなければどのタイミングで止めるか(引き返すか)?は常に意識しなければいけないのではないでしょうか。