自分が引き受けることで

あけましておめでとうございます。昨年中もたくさんの生徒さんたちに来ていただき、先生方も素晴らしい授業をしてくれて、10周年にしてもブレることなく、「世界観が変わる福祉教育」を提供できたと思います。先生方と卒業生さんたちに感謝します。今年も大きなチャレンジはできないかもしれませんが、少しずつ変化しながら、生徒さんたちや先生方といった身近にいる人たちを大切にする学校であり続けたいですね。個人的には、昨年は少しさぼりモードというか楽をしてしまったので、今年は目標を決めて頑張ってみたいと思います。残り少ない人生ですから、今やれることは今やっておきたいものです。

 

年末年始は3年ぶりに実家の岡山に帰省しました。久しぶりに妹の子どもたち三姉妹に会っておかなければと思ったからです(両親とは祖母の三回忌で10月ぐらいに会っています)。長いこと会っていないと、子どもはあっという間に成長しますし、そもそも彼女たちが何歳なのか分からなくなっていました。直接聞いてみると、上から9歳、7歳、4歳とのこと。長女と次女はあまり大きくなった印象はないのですが、三女と前に会ったときは赤ん坊だったような気がして、その成長に驚かされました。かくれんぼうをしたり、ケーキ屋さんのお客さんをやらされたり、カルタ取りの札読みをやらされたり、たくさん遊びました。

 

3人も小さい子たちがいると、入れ代わり立ち代わりまとわりついて、自分たちの好きなように相手をしてもらおうとするから大変です。2倍、3倍と大変になるのではなく、2乗、3乗と大変になる感じです。まさに一瞬の隙もなく、自分のことなど何もさせてもらえません。世のお母さんたちの自分の時間がほしいという気持ちが分かります。初日や2日目ぐらいまではそれでも良かったのですが、大晦日に楽しみにしていた格闘技の番組をライブでなかなか観させてもらえず、そのときばかりは、ああ帰ってくるんじゃなかったと本気で思いました(笑)。町田でひとりゆっくりと過ごしたかったと…。

 

最終日に、僕だけ先に帰るため、父親が最寄りの駅まで車で送ってくれました。その際、「短い間だったけど、敬之が戻ってきてくれて助かったよ。敬之がいると、子どもたちはそっちに引きつけられるから、周りは楽をすることができました。ありがとう」と言ってもらいました。父の言葉を聞き、なるほど、私がまとわりつかれて大変だと思っていた時間は、実は父や母、そして妹にとっては束の間の休息だったのだと知りました。その逆も然りで、私が楽をしているときは、誰かが大変なことを引き受けてくれているのだとも思いました。もちろん、子どもたちと遊ぶことは楽しいですし、幸せな時間ではありますが、大人には自分の時間も必要ですからね。

 

 

どのような仕事であれ、些細なことであれ、自分が大変な思いをして引き受けることで、周りの人たちを楽にしていると考えてみても良いのではないでしょうか。傍(はた)を楽(らく)にすることが働くだとも言えます。自分だけが大変だと悲観するよりも、よっぽど建設的ですし、健康的です。大変な状況にいると、私たちはついなぜか自分だけがと視野が狭くなりがちですが、あなたが引き受けていることで周りを楽にしているのです。ずっと引き受け続けるのが難しければ、持ち回りで次は自分が楽をすればよいのです。そのとき、あなたのおかげで私が楽をできてありがとう、とひと言かけ合えると私たちの社会や仕事は幸せに回っていくのではないでしょうか。