「どうすればよかったか?」

2024年最後の映画としては、重すぎました。救いもなく、絶望しかない地獄のような映画です。普通の映画であれば、どこかに救いようがあったり、希望の光が見えたりするのですが、この作品に関しては全くそれがないのです。そんな映画は私にとっても初めて。観ているだけで、身体は鉛のように重くなり、身動きが取れなくなるような感覚に襲われます(観たい人は覚悟して観てください)。タイトルである「どうすれば良かったか?」に対する鑑賞者としての私なりの答えは、「どうしようもなかった」です。これほどまでに救いも希望もない作品をつくることのできた、当事者の家族であり、監督でもある藤野知明氏には拍手を送りたいと思います。

小さい頃は優しくて面倒見の良かった姉が、おかしな言動を取るようになったのは、医学部に入学してからのこと。明らかに様子がおかしく、統合失調症が疑われたにもかかわらず、医師で研究者でもある両親はそれを認めようとせず、むしろ精神医から娘を遠ざけるようになりました。そこから長きにわたる両親と娘の重苦しい生活が始まりました。ほとんど外に出ることはなく、姉の病状は悪くなる一方。にもかかわらず、母は娘を家に閉じ込め、外の世界から切り離し、父は責任を負おうとせず、弟もその状況を打開することはついにできませんでした。残ったのは記録(映像)のみ。

 

どこか既視感があるのは私だけではなかったはずです。どこか噛み合わない両親と息子のやりとりは、私の両親と私のそれであり、間違った方向に進んでいると分かっていつつも、我が子を甘やかす母親とそれを見て見ぬふりをして放ったらかしにしてしまう父親はまるで我が家のようです。子どもは親の鏡というように、子どもの問題は親の問題でもあります。子どもを変えようとする前に、親が変わらなければ変わらないのに、つい私たちは自分ではなく対象を見てしまいます。不登校で社会性も身につかないでいる私の息子は、私たち両親の弱さから生まれてきたのですから。

 

子どもは親の鏡であるがゆえに、家族の問題を自分たちで解決するのが難しいのだと思います。同じ穴の狢(むじな)というか、表面的にどう現れるかの違いだけで、抱えている根本的な弱さや課題は同じだからです。まずは自分に矢印を向けて、自分から変わろうとするのがひとつ、完全な他者に介入してもらうことがもうひとつの解決方法ではないでしょうか。それは藤野家がそうであったように、言葉で言うのは簡単で実行するのは難しく、だからこそほとんどの家族の問題は最後に「どうすればよかったか?」「どうしようもなかった」と堂々巡りしてしまうのです。