褒め・認めることの難しさ

湘南ケアカレッジの教え方のひとつとして、まずは褒める・認めるがあります。私が褒める・認めることの大切さを教えてもらったのは、30代の頃に勤めていた個別指導の塾でした。個別指導に来る生徒さんたちは、基本的には勉強が苦手な子であり、だからこそ余計に褒め・認めが大事でした。その塾では徹底して褒める・認めるを先生側に教え込んでいました。生徒さんが問題に答えるたびに「いいね!」、質問をするたびに「いいね!」、文章を読むたびに「いいね!」と、相槌を打つように褒めるのです。システム化されていて、やや過剰に思えるかもしれませんが(私も最初はそう思っていましたし違和感もありました)、何をしても無反応であったり、できないことを指摘され続けるよりは大分ましです。

 

なぜここまでして先生に生徒を褒める・認めることを習慣づけていたかというと、これはしばらくしてから気づいたのですが、先生というのは意外と褒められない生き物だからです。先生方は学生時代に勉強がどちらかというとできた部類であり、できることに対しての基準も高く、自分に厳しい人が多い。その基準や厳しさを生徒さんに求めてしまうと、目の前の生徒さんはひとつも褒めるところなんてないと見えてしまいます。

 

気がつくと褒め・認めはなくなり、相手を努力が足りないダメな人間だと認識し、本人は教えているつもりでも指摘ばかりしてしまうのです。それでも成績が上がれば良いのですが、大体において生徒さんは自信をなくし、モチベーションを失い、成績が落ちるだけではなく、塾を辞めて行ってしまいます。

 

むしろ学生時代にあまり勉強ができなかった先生の方が、ちょっとしたことで生徒を褒め・認めることができます。結果的に、あまり勉強ができない先生に教えられた生徒さんの方が成績は伸びる、という不思議な現象が起きます。このことが分かってから、僕は偏差値が高い大学の学生ではなく、普通(中ぐらい?)の大学で最低限の教える知識を持っている大学生を積極的に採用することにしました。

 

褒める・認めることを技術的に習得することもできなくはないのですが、マインドが変わらないと褒め・認めは長続きしないからです。勉強をできる先生が勉強をできない生徒の気持ちを理解することは難しい、もしくは相当長い時間がかかるのです。勉強ができる先生が良い先生になるためには、相手の立場に立って、気持ちを理解しようとするマインドチェンジが求められるのです。

 

 

自分が教えたいことを教えるのではなく、相手にとって必要な学びは何かと考え、相手の立場や気持ちを想像し、最も伝わりやすい方法を採ることは、(まずは褒める・認めるから始めるだけなのですが)簡単なようで簡単ではありません。小手先や口先の技術はいつの間にか消えてしまいます。伝統芸のような技術に変えるには、自らのマインドを変え、それから身体に定着させていく努力をするしかないのです。