映画「月」

2016年に相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」で起った、大規模殺人事件を題材にした映画です。主人公のひとりである元作家の堂島洋子(宮沢りえ)は、かつて先天性の疾患によって息子を3歳で亡くしました。深く心に傷を負った彼女は文章が書けなくなり、障害者施設で働きながら生計を立てているのですが、再び子どもを授かることになります。障害者と支援者の苛酷な現実を目の当たりにして、同じこと(病気や障害を持った子どもを産む)が起こってしまうのではないかと考え、出生前診断をすべきか、もし陽性であったら中絶すべきかそれとも産むべきか迷うのです。

出生前診断とは、妊娠中の胎児に染色体異常(ダウン症など)や形態異常(心疾患、脳の異常など)の可能性を診断するための検査です。陽性が確定した場合、約9割が人工妊娠中絶を選択するというデータが出ています。重い障害や病気のある子どもを自分は育てられないという選択ですが、そこには言葉によるコミュニケーションもできず寝たきりで生涯を過ごすことになる本人自身は果たして幸せなのか?生きている意味はあるのか?もし自分が逆の立場だとしたらそれでも生きたいと思うのか?などといった問いかけがあるはずです。

 

分からない。というのが正直な答えです。実は原作である辺見庸さんの小説「月」では、寝たきりで身動ぎできないきーちゃんの一人称の視点で語られるため、障害や病気のある人たちにも心があって、僕たちと同じように喜怒哀楽を感じているという設定になっています。だからこそ、重度障害者には心がなくて生きている意味がないという犯人(さとくん)の主張はあまりに偏っていると思えるのですが、映画の中において障害者の視点はごくわずか。つまり、相手の立場や視点になってみないと思想は一方的になりがちであり、かといって本当の意味で相手の立場や視点になることは難しいという矛盾が生じます。だからこそ、誰も分からないのです。

 

分からない中で選択をしなければならないのであれば、その状況によって答えは違ってくるでしょうし、その人によって判断は異なってくるはずです。それで良いのです。正解も不正解もなく、正しい間違っているもないのですから、それぞれが自分で考えて選べば良い話ですし、他者の選択についてどうこう言う必要はありません。もし自分が選択を迫られたら、僕は1割の方を選択してしまいそうな気がしますが、9割の人たちが考え抜いた末に選んでいるということは、それが現実ということでしょう。

 

 

だからといって、目の前にある命までを奪って良いという話では全くありません。むしろどのようにして命を輝かせることができるかが大事です。もしかするとあなたが障害や病気を持って生まれてきた可能性だってありますし、今はたまたま健康だとしてもいつどうなるかなんて誰にも分かりません。決して他者の視点にはなれませんが、自己と他者の境界線は紙一重なのです。他者の命を輝かせることは、自分たちの命を輝かせることにもつながります。私たちは苦しくも楽しい世界を共に生きていくのです。