ChatGPTやGeminiなど生成AIに書いてもらった(のではないかと思われるほど洗練された)おむつレポートを提出する生徒さんがいました。ついに現れたかという気持ちですが、そういう時代なのですね。かつては学生がWikipediaなどのネットに載っている情報をコピペして論文を書いてくる、と先生を困らせていましたが、今は情報を上手くつなぎ合わせるところまで全てAIが一瞬で行ってくれます。
「オムツをして、排泄をしてみたときの気持ちは?」、「排泄したオムツの上に座ってみたときの気持ちは?」、「異性にそれを外されると想像したときの気持ちは?」など適切な問いを入力するだけで、生成AIはお気持ち(感想)まで書けてしまうのだから驚きです。
私の愚息も、生成AIを使って作文の課題を書いていました。見せてもらうと、明らかに息子が自分で書けるレベルではない語彙や言葉づかいだったので、「これじゃあ自分で書いてないのがバレバレだよ(笑)」と指摘すると、「それじゃあ」と言って、文章のレベルを落として再度持ってきました。すると、意外と馴染んでいて、いかにも息子でも書けそうな語り口に調整されており、ほとんど違和感もありません。息子のことを知らない人が読んだら、息子が書いた文章ではないと見分けるのは難しいはずです。文章を書くといった、人間の知性の発現の最たる部分でさえも、生成AIはすでにできてしまうのです。
ただひとつだけ、生成AIには難しいこともあると分かりました。息子が示してくれた生成AIの作文には、体験談が含まれていませんでした。生成AIは基本的にネット上にある情報を元に成り立っていますので、ネット上にないものを元に創造することも学習することもできないのです。「体験談も入れて」と生成AI指示すると、それっぽい体験談を探し出してくるかもしれませんが、強烈な違和感が生まれるはずです。ネット上に知識や技術は集積されていても、あなた固有の体験はないからです。裏を返すと、これからの生成AI時代に大切なのは個人的な体験や経験ということです。
おむつレポートは、レポートを書いて提出することではなく、おむつをはく体験をしてもらうことに意味があります。もっと言うと、自ら体験してみたとき、何を感じたか、想像したか、考えたかが大切です。そうした経験の積み重ねがあなたという個人をつくり、固有の人間性をつくります。個別の人間だからこそ、自分とは違う他者の気持ちを想像しようと努め、尊重し合って協調することができるのです。
個別の体験なくしては、僕たちは(映画「マトリックス」のように)生成AIにつながれた肉体になってしまうのではないでしょうか。自分で考えているつもりでも、実は脳がAIに常時接続されて、情報を送り込まれ、身体だけ動かされているということです。スマホを片手に見ながらゾンビのように歩いている人を見ると、あながち大げさでもないと思ってしまいます(笑)。
介護の学校としてできることは、チャッピー先生に聞けば教えてくれることを教えるのではなく、先生方が経験したことを語ったり、あらゆる介護の体験をしてもらったり、クラスメイト同士で話をして、考えや意見を交わして共有してもらったりすることです。そのために学校はあり、これからのAI時代においてますます大切な場になってゆくはずです。
