私たちは自分の心は分かっても、他者の心は分かりません。だからこそ、相手はこう考えているのではないかと想像するしかありません。相手が同じ行動を取っていたとしても、良く考えることもできれば、悪く考えることもできるのです。
たとえば、相手がいつもと違って話しかけても不愛想だったとします。今日は体調が悪いのかな、大丈夫かなと考えることもできれば、私のことを嫌いなのかなと考えることもできます。どちらもあくまでも想像であって、相手に直接聞いてみないかぎり正解は分かりません。他者の心(気持ち)をいちいち聞いてみることはできませんので、私たちはほとんどを自分が想像した世界で生きているのです。自分の考えた世界ということです。
私だって人間なので、悪く考えてしまうことが多々あります。そうすると不思議、この世の中はとても窮屈で生きづらく、自分だけが取り残されたように感じることになります。いわゆる疑心暗鬼の状態。もう自分のことなど誰も必要としていないとか、もう自分は誰にも好かれなくなってしまったなど、悪い想像は膨らみます。
それは多かれ少なかれ、皆さんも同じなのではないでしょうか。職場でも家庭でも、疑心暗鬼になってしまうと、コミュニケーション不足になり、お互いがギスギスしてしまって、ついには辞めたくなってしまうかもしれません。
そんなとき、ふと他者はどのように世界を見ているのだろう、と俯瞰して見るようにしています。機嫌が悪そうで挨拶もしない人は、周りの人たちは冷たくて自分だけ損をしていると見えているのだろうなとか、いつも上機嫌で楽しそうにしている人は、他者は自分の仲間であると信頼しているのだろうなと想像してみるのです。
そうすると、自分のことも客観的に見えるようになります。自分が苦しいのは、自分が勝手に周りの人たちに対して疑心暗鬼になっているだけで、実は何の根拠もありません。他者を信用するだけで、周りの世界は明るく輝いてくる。ほとんどの自分の世界は自分の頭の中でつくられているということですね。
人間だれしもが不信に陥ってしまうこともあると思います。何でもかんでもポジティヴに考えられる人はごく僅かです。自分がネガティブになりそうなときは、自分の世界から一旦離れて、他者を見てみてください。他者が自分の周りの世界をどう考えているのか。それ想像できるようになると、自分が考えている世界がいかに偏屈かも分かるようになります。
周りの人たちを信用しないことが、いかに自分にとって不利益をもたらし、それが積み重なっていくと、自分の世界がどんどん狭く、苦しいものになってゆくか想像できるはずです。それが分かると、他者を信用しよう、もっと相手と理解し合おうと思えるのではないでしょうか。それは介護の現場でも、家庭でも、友人知人の集まりでも同じですね。
