私たちに何ができるのか

最高の体験を与えてくれた介護職員初任者研修(旧ホームヘルパー2級講座)をひとりでも多くの人々に提供したいと思い、大手の介護資格スクールに就職しました。今だから言えますが、その職場はブラック企業も驚くばかりの労働環境であり、朝の7時過ぎに出社して、夜は終電ギリギリの12時30分までぶっ通しで仕事をしていました。

 

ひとり暮らしをしていた自宅に帰って、細々としたことをやっていると2時3時になり、朝6時30分には起床するという毎日(土日も学校はあるので)を、異動によって状況が変わるまでのおよそ2年半にわたって続けました。

 

別にダラダラ仕事をしていたわけではなく、どちらかというと自分が何をやっているのか分からなくなるぐらい、業務が次々と舞い込んできました。1日17時間×365日×2年半。世界中で今、自分が一番働いているのではないかと思えるぐらい、息をつく間もない、まるでジェットコースターに乗っているような半狂乱な日々でした。

1日だけですがウツになったこともありましたし、3日間ウイルス性の胃腸炎で寝込んだこともありました。今から思えばよく乗り切れたと思うのですが、あと少し異動が遅かったりしたら、正直どうなっていたか分かりません、これらの日々があったおかげで、今の私もあると感謝しつつも、福祉教育に魅力を感じていなければ、働きつづけることはとうてい困難だったことは確かです

 

当然のことながら、辞めてゆくスタッフやアルバイトも多く、残された私たちの間にも、どこかギクシャクとして殺伐な空気が流れていました。自分たちを取り巻く苦しい環境から逃れようと、それぞれが自分のことばかり考えていた気がします。

 

そんな状況の中、ある日、障害者雇用の一環として、筋ジストロフィーを患った男性が入職してきました。その当時、私とほぼ同年代ですから、25歳ぐらい。筋ジストロフィーとは、筋肉の組織が少しずつ失われてゆく、遺伝性の疾患です。彼は残っている筋肉と杖を使って立派に歩くのですが、一旦転倒してしまうと自分ひとりで立つのに時間がかかります。もちろん、力仕事や階段しかない教室・実習先回りなどはできません。

 

そんな彼が、こんなにも苛酷な労働環境で、果たしてどこまで働けるのか、私たちは疑問と不安を感じていました。いや、正直に言うと、彼のことまで考えてあげる余裕など、時間的にも心理的にも、私たちにはなかった気がします。

 

そんな私たちの心配をよそに、彼は自分にできることを見つけ、それを精一杯にやりました。彼にしかできないこともありました。複雑なパソコンの操作や丁寧な電話応対。そして、何よりも、彼がスタッフに加わってからというもの、私たちの職場の空気は少しずつ変わっていったのです。一緒に働くスタッフたちが、彼のことはもちろん、お互いに助け合ったり、声を掛け合って気遣ったりするようになったのです。

 

ともすると、私たちはできないことばかりに目が行ってしまいがちですが、他人のために自分には何ができるかを皆が考えるようになったのです。彼の人柄の素晴らしさと、懸命に働き、生きる姿が、私たちを大きく動かしたのです。それは私にとって、共に生きるという貴重な体験でもあったのです。