当たり前の生活とは?

介護職員初任者研修の4月短期クラスの第9回目の授業が行なわれました。ここのところ実技が中心の授業ばかりで、今日は久しぶりに講義中心でしたが、橘川先生の明るく丁寧な授業のおかげで、受講生たちは最後まで集中を切らすことなく聴いてくれていました。

 

最初の科目である「生活と家事」は、いきなりこんな質問でスタートします。

 

「皆さんにとって、当たり前の生活とはなんですか?」

 

グループになってもらい、それぞれの思う当たり前の生活を話し合います。寝ること、食べること、歯を磨くこと、仕事に行くこと、などなど。コンビニに行くなんてことも挙がりました。それぞれの当たり前の生活は、大まかには同じであり、細かく見ていくと違いがあります。そうして日常生活に意識を向けてもらったあと、次の質問です。

 

「いつもと違ったことが突然起きて、不便を感じたことはありませんか?」

 

当たり前だと思っていた日常生活が、何の前触れもなしに崩された経験を思い出してもらいます。思い出すのは難しいかなと思っていましたが、皆さん、そういう経験は何かしらあるようで、意外とたくさん挙がってきました。急にパソコンがフリーズして困った、洗濯機が動かなくなって大変だったという機械系の故障から、奥様が病気になってしまい家の中がグチャグチャになったなんてことまで。

 

私もある日のことがパッと頭に浮びました。その日は午後からの出勤でしたので、朝10時ごろ起きて、いつものように洗面所に向かい、顔を洗おうとして蛇口をひねると…、水が全くでない!最初は蛇口の故障かと思い、風呂場に移動してひねってみても出ない。台所に行ってみても出ない。どうやら完全に水が止まっているようです。あとから分かったことですが、その日のその時間は断水するという旨の案内がポストに入っていたそうです。そんなこと露知らない私にも少しずつ状況が飲み込め始め、水が出ないだけで何もできなくなってしまう自分に愕然としたのです。

 

まず顔が洗えない。それからコンタクトレンズが入れられない。(ふだんはツンツンなのですが)寝起きでクシャクシャになっている髪を濡らして整えることもできない。このままではさすがに外出ができないのです。いつになれば水が出るのかさえ分かりませんでしたので、これまでにないぐらい頭をフル回転させ、この状況を打破する方法を考えました。そこでひらめいたアイデアは、家の近くにあるスパ(温泉)に行くこと。これしかないと思い、帽子を目深に被り、メガネをかけて、洗っていない顔を隠すように、コソコソと自宅を出てスパ(温泉)に向かったのでした。

 

近くにあっても初めて行く場所でしたので、ようやくたどり着いたものの、入り口が分かりません。建物の周りをぐるぐる回ってようやく入り口を見つけ、入った瞬間に、「お客様、そちらはダメです!」と言われ、何のことだか分からずにいると、「こちらは土足厳禁ですので、入り口のところで靴を脱いでお入りください」と受付の人に軽く叱られました。たしかによく観ると、そういう看板がありますが、メガネの度が合っていないこともあり、全く目に入りませんでした。なんて1日だと運命を呪いつつ、風呂に入り、顔と髪の毛を洗い、コンタクトを入れて、ようやく人前に出られる姿になりました。日常生活が戻ってきたのです。

 

自宅に戻ってみると、何ごともなかったかのように水は出るようになっていました。たった僅かな時間の断水でしたが、水が出ないだけで、ここまで自分の日常生活が脅かされるとは思いませんでした。当たり前の生活って、実は当たり前ではないのではないか。当たり前に思える生活は、ほんとうは奇跡的なのではないか。そう思ったものです。もしあの状況が長きにわたって続くとしたら、自分はどこまで受け入れられるでしょうか。たぶん難しいかもしれません。現実を否定してみたり、誰かに怒りをぶつけたり、神にすがったりするのではないかと想像します。

 

当たり前が当たり前ではなくなる日は突然訪れます。病気になったり、怪我を負ったり、高齢になって体が衰えたりすることが原因となることが多いです。そして、それは長期間に及ぶことや、また生涯にわたって当たり前でなくなる生活を余儀なくされることもあります。当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなってしまった人々の気持ちを理解し、寄り添いながら支援をしていくのが私たちの仕事なのです。