死の瞬間

今日は介護職員初任者研修の9日目、「死と向き合うひとのこころとからだ、終末期介護」の授業でした。年間で160万人の方々がお亡くなりになる時代を迎えるにあたって、身の周りの人たち、そして自身の死について考えるための大切な授業です。

 

授業のタイトル(単元名)を見てピンときた方は、相当な通だと思いますが、実はこの単元の授業だけは湘南ケアカレッジのオリジナルネーミングになっています。介護職員初任者研修における、標準的なタイトルは、「死にゆくひとのこころとからだ、終末期介護」であり、テキストもそれに合わせてあります。

それでも敢えてタイトルを変えたのは、「死にゆくひと」という言葉に違和感を覚えたからです。この全く希望のない、何だか他人事を語るかのような表現を当たり前のように使うことに抵抗感があるのです。

私にとって年の離れた兄貴のような存在の方が、数年前にガンで旅立ってしまいました。その方は終末期で確かに死へ向かってはいましたが、どう考えても、「死にゆく人」と定義することはできませんでした。自分がそういう状況に置かれたとしても、死にゆく人という表現には抵抗すると思います。たとえどんな最悪の状況に置かれたとしても、人は最後まで生きる希望を捨てることはありません。

それではなぜこのような残酷な表現がまかり通っているのかというと、このキューブラー・ロスによって書かれた名著「死の瞬間」によるものだと思います。著者の表現が悪いのではなく、誤訳によるものです。最近、新訳版が出版されましたが、その中でも旧訳版の誤訳については指摘をされていました。

たとえば、本のタイトル。原題は「On death and dying.」 直訳すると、死に直面したとき、その過程。
邦題の「死の瞬間」とは前半のOn death の意訳だと思います。そして、おそらくdyingを死にゆく人と解釈したのではないでしょうか。細かいことを言うと、the dyingであれば、百歩譲って、死にゆく人と訳してもいいのですが、dyingだけでは死に向かう過程のことを指します。つまり、旧訳版の訳者は、日本語訳と言葉遣いという二重の意味で誤ってしまったことになります。

でも、この名著が出版されたのが1971年のことですから、介護や福祉に対する一般世間の認識や意識も薄く、ある意味、仕方のないことだったのかもしれません。とはいえ、その時代からずっと当たり前のように使われてきている表現の中には、今思えば語源がおかしいものがあるのです。たとえば、終末期介護という言葉にも改善の余地はあると思います。

 

以前、障害を障がいと記述することについて私の考えを書きましたが、そういう表面的なレベルではなく、言葉の表現自体が時代に合っていないということです。たとえば、アメリカでも障害について言及するにあたって、disabledhandicappedそしてchallengedなど、社会の考えが進むにつれて言葉遣いも変化しています。私たち日本人は気遣いやおもてなしという素晴らしい文化を持っていますので、あとは今あるものや考え、言葉をありがたがるのではなく、疑い、変えてゆくという発想が福祉の世界でも必要ですね。