「家族で治そう認知症」

最後まで一気に読み切ってしまう本でした。重要なポイントがシンプルにまとめられている(全48ページ)からだけではなく、その内容が驚きの連続だからです。先生に勧められたことがきっかけで読んでみたのですが、この1冊で認知症とは何か、原因は何か、そしてその対処法はという疑問が一気に氷解するような気がします。確かに、「家族で治そう認知症」というタイトルには賛否両論あると思いますが、ここに書かれていることは科学的な事実でもあり、多かれ少なかれ真実を語っているのではないでしょうか。認知症に関わる方にはぜひ読んでもらいたい1冊です。

 

タイトルに違和感を覚えたのは、逆の視点から見ると、認知症を治せないのは家族のせいと解釈されるような気がしたからです。そもそも認知症は治らない、むしろ進行していくというのが定説であり、それゆえに家族も救われていた部分があったのではないでしょうか。認知症が治らず進行してしまうのは家族のケアの問題となってしまうと、私の家族も含め、ほとんどの家族はやり切れない思いを抱くはずです。どうしていいのか分からず、その中で懸命に介護をしたけれど、最後は寄り添うことぐらいしかできないというのが家族の実感だからです。

 

「認知症になる前の状態に戻ること、ふつうの人に戻ること」。これを著者は“治る”、“治った”と呼びます。認知症は高齢者に多い「精神の病」のひとつであり、精神の病は「症状」が取れれば“治った”と判定されるのです。このような前向きな捉え方であれば、治らないと決め付けてしまうより、よほど良いかもしれません。もっと詳しく定義すると、認知症は脳の病気ではなく、高齢になれば誰にでもある生理的なぼけが、重い病気や寝たきり、またはストレスやトラウマによって病的なぼけになったものが認知症とします。確かにこちらの定義の方が実質に則している気がしますね。

 

認知症を治すための基礎理論として、認知症には身体的活動性と役割・社会関係が大きく影響してくると述べられています。分かりやすく言うと、身体の動きと友だちや仲間等との関係ということです。身体の動きを失わせる原因として、①脱水②栄養不足③運動不足、寝たきり④病気やけがの4つが挙げられています。私の祖母を見ても、たしかに①と②は大きく当てはまります。特に、人体の6割は水分であり、水はいのちの元であり、水分が不足すると身体の動きが鈍くなる。だから、「水分を取ることがどれだけ大切か」という説には大きくうなずけます。

 

もうひとつの要因である役割や社会関係としては、新しい土地に引っ越して、友達や仲間のいない生活で認知症になったり、配偶者を失うことで認知症になったりということです。配偶者を失うと認知症になりやすいのは、相互の役割が失われるからです。私の祖母は、どちらかというと、曾祖母の介護をずっとしており、その曾祖母が亡くなってから、少しずつ認知症の症状が出てきた気がします。大変な介護から解放された部分もあったと思うのですが、本人にとっては役割の喪失という面もあったのかと思うと複雑です。

 

最後の章では、実際に家族で認知症を治すための具体的な方法が紹介されています。もちろん、全ての家族がこれを実行して、認知症を治せるとは限りませんが、認知症をもう少し前向きに考えられるきっかけとなるのではないでしょうか。できないで終わるのではなく、その原因を知り、どうすればできるようになるのか、一歩でも前に進めるのかを考え、提案することの重要性は介護・福祉の世界でも同じですね。知っているのと知らないのとでは、物ごとの見方に大きな違いが出てくることを改めて教えてくれた貴重な1冊でした。