「よく死ぬことは、よく生きることだ」

タイトルに惹きつけられて手に取った本です。逆説的であるようでいて、真実を語っていると思います。私たちは生きることや、働くことについてはよく考えますが、死ぬことについてはあまり考えません。今生きている人が、より良く生きることや、より充実して働くことに関心があるのは、当然といえば当然のことでしょう。若い人ほどその傾向は強いはずです。ただちょっと発想を変えて、よく死ぬことについて考えてみると、よく生きることも見えてくるのではないかということです。生きることと死ぬことは、必ずどこかでつながっているからです。

 

この本自体は、かなり昔に書かれた闘病記であり、今読んでも色褪せない、著者・千葉敦子さんの鮮明な生に対する想いが伝わってきます。時代が変わっても、人間の死や生にまつわる思いは不変だということが分かります。ジャーナリストとして、自分の病を題材にするほど苛酷なことはないはずです。つとめて客観的、冷静な視点を用いなければならないと分かっていても、そして本人はそうしているつもりでも、実際に読み手の前に現われてくるのは、乳がんの再発と闘い、絶望と希望の間を行き来する、ひとりの生身の女性の姿なのです。

 

著者の文章の中には、「1日をフルに」という一文がよく登場します。よく死ぬために、1日をフルに生きるということです。「そのうち」や「いつかは」ではなく、1日を生きるためには、その日ごとの目標を持つことだと語ります。

あと生きる日が何日か、何週間か、あるいは何ヶ月か、という段階に入ると、「その日1日を精一杯に生きる」ことが大変重要になってくる。そう決意することによって、人生最後の日々が、限りなく貴重な、実り多いものになり得る。

(中略)

1日ずつをフルに生きるために、具体的にはどうしたらよいのか。末期患者を看護するナースに聞いてみると、こんな答えが返ってきた。「人生最後の日々を豊かに生きる人は、たいていその日ごとの目標を持っています。本を読む人、刺しゅうをする人、見舞いに来る家族に話すために病院内のエピソードをメモする人など。1日の終わりに、これだけ読んだ、これだけ刺しゅうをした、見舞いに来た家族を笑わせた、などの満足感を抱くことが重要なようです。


かつてこの一節を読んだとき、私は実に自分が1日をフルに生きていないか思い知らされました。1日とは言わないまでも、せめて1週間とか1ヶ月の単位では、しっかりと目標を持って生きていかなければと痛感したのです。そして、もし自分があと1年しか生きられないとしたら、3年しか生きられないとしたら、10年しか生きられないとしたら、何をしたいのか(するべきなのか)をそれぞれ書き出してみたのです。介護の学校をやる、サックスを習うなど、自分の思うにまかせて書き連ねていきました。そうすると不思議なことに、普段はあまり深く考えていないことが、1年、3年、10年のどのリストにも登場したのです。それは「子どもとオーロラを見に行く」ことでした。ぜひ皆さんもやってみてください。新しい発見があるかもしれませんよ。