「そして父になる」

今週の金曜日から1週間学校がお休みなので、かねてより観たかった映画「そして父になる」に行ってきました。ご存知、カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した、福山雅治主演、是枝裕和監督による作品です。6歳になった息子が、実は生まれた病院で取り違えられた子どもだと分かり、血のつながっている息子は別の親に育てられていたというストーリー。実際に観に行った友人・知人やネットでの評価は賛否両論に分かれていましたが、私にとっては、内容も俳優も音楽も、どれを取っても文句なしの最高傑作だと思いました。

話の中でどうしても私たちはこれまで育ててきた子どもと実は血がつながっていた子どものどちらを選択するのか、という選択を迫られます。血のつながった子どもだと考える人もいるかもしれませんし、いや今まで愛情を注いできた子どもだと考える人もいると思います。しかし、本当にそれが正しい選択なのかと考えれば考えるほど、どちらも正しくない気もします。もちろん、この映画の登場人物たちも同じように右往左往します。そう簡単に割り切れないのです。物語は育ての親の元に子どもたちは戻った形で終わったように見えて、実はその先はどうなったのか分かりません。そういう論理的な結末は望まれていないのです。

 

なぜかというと、愛情というものは無条件だからです。これまで育てたからとか、一緒に暮らしてきたからとか、血がつながっているからとか、そんなこと愛おしさという感情の前では何の意味もなしません。「そして父になる」というタイトルは、仕事人間だった主人公が事件をきっかけに良き父親に変身していくという意味ではなく、自分の中に眠っていた無条件の愛に気づいたということなのだと思います。主人公の父や母がそうであったように、血がつながっていようがいまいが、優秀であろうがなかろうが、主人公はずっと息子のことを愛していたのです。これから先もずっと。

 

もし評価が分かれるとすれば、この作品が男性としての視点で徹底して描かれているからでしょう。ところどころに、「似ているとか似ていないとか言いだすのは、子供とつながっているって実感のない男だけよ」、「あなたはそばにいてくれなかったじゃない」、「あなたの言葉は一生忘れない!」といった女性の鋭い言葉を散りばめているのも、男性の父親としての苦悩をえぐり出す効果を見事に生んでいます。もしかしたら、その点では、女性としては感情移入できないというか、肩透かしを食らったような気になるのではと思います。

 

主人公は現代を生きる男性の象徴です。「福山雅治くんにも嫌な奴の役をやってほしかった」と是枝監督は語ったように、一見、主人公はエリートで弱者の気持ちが分からない独善的な人間であり、リリーフランキーが演じるもう一方の父親が理想の父親像として描かれています。しかし、実は彼は社会や闘いから半分降りた男性でもあり、彼は彼なりに大きな苦悩を抱えているはずなのです。高度経済成長期を脇目もふれずに駆け抜けた時代の男性とは違い、現代の男性はいずれの役割をも暗に求められています。福山雅治とリリーフランキー。その微妙なバランスを取りつつ、葛藤に苦悩しつつも、人間性を回復してゆく。女性には当たり前にできることも、男性にとっては案外難しいことだったりするのです。

 

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