「介護民俗学」なんて、とっつきにくそうなタイトルですが、介護の世界を描いた紛れもない傑作です。著者である六車由実さんは民族学者でしたが、あるとき大学を辞め、特別養護老人ホームで働き始めました。決して介護現場で民俗学の調査をしようと思ったわけではなく、しかし気がつくと驚きと喜びを持って利用者たちの話を聞き書きし、フィールドワークをしているかのような刺激的な日々を送っています。介護や福祉がこういった視点で語られるようになると、この世界はより深く豊かになってゆくのだと思います。
民俗学におけるフィールドワークで大切なことは「参与観察」だと言われています。調査の対象となる社会で生活(参与)をしながら信頼関係を築き、なおかつ見たり聞いたり(観察)したことを記述していくのです。ただ単に、聞いたことを書くだけではなく、その言葉の行間や行動の背景にある意味を読み取って、解釈をすることも大切です。こう聞くだけで、介護の現場がどれだけ民俗学にとって魅力的な場所であり、介護職員がどれだけその任に適しているか分かりますね。
利用者から聞いた「馬喰」、「流しのバイオリン弾き」、「蚕の鑑別嬢たち」の話。ジェスチャーゲームにおいて「脱穀機」や「餅つき」をお年寄りたちが一斉に当てた話から、トイレ介助をしていたときに見えてきた、トイレットペーパーを汚物入れに捨てる習慣や便器を認識できずに手を合わせてしまう認知症の利用者の話まで。それぞれの時代を背景とした職業や仕事があり、それぞれの身体的な記憶が今もなお生きていることを思い知らされるのです。
個人的には、晩年の柳田國男さんが、数分おきに相手の出身地を聞いた話が興味深かったです。同じ問いを繰り返すという認知症の症状ですが、日本民俗学の創始者である柳田國男さんにとって、その問いは彼の学問の原点であり、大きな意味があったのです。その他、同じ問いの繰り返しというテーマでは、予定調和になることで利用者が落ち着くこと、反対に予期せぬ返答をすると結果としてさらに同じ問いが繰り返されることを例に挙げ、「同じ問いの繰り返しには実は同じ答えの繰り返しが求められているのではないか」と示唆します。
そんな著者も、忙しい現場での日常の中で、次第に驚けなくなっていったそうです。もう少し正確に言うと、意識的に驚かないようにしないと、仕事が成立しなくなってしまうということです。そして、一方では介護の技術的な達成感の喜びは強く感じるようになったと言います。
「そんな感覚は今まで味わったことがなかった。介護技術が高まったということなのかもしれないが、そこで感じる介護の喜びは、これまでの利用者との関係の中で感じられるものとは明らかに異なる。極端に言えば、利用者と接しているのに、そこには利用者の存在が希薄になっている。ただ自分の技術に酔っているだけなのだ。驚きのままに聞き書きを進めていたときに、目の前に利用者が背負ってきた歴史が立体的に浮かび上がってきて、利用者の人としての存在がとてつもなく大きく感じられたのが嘘のようだった。なんだか私は自分が恐ろしくなった」
そのような過程を経て、著者は再び驚きを感じる自分に素直になろうと決意し、このような言葉で本書を締めくくります。
「介護の現場で、介護職員たちがどれだけ業務に追われているのか、その状況を身をもって知った。一方で、業務のなかで同僚職員たちと関わっていると、私が想像していた以上に彼らが実はもっと利用者と話をしたいとか、利用者のことをもっと知りたいと強く思っていることもわかってきたのだ。介護民俗学という私のアプローチに限定されず、介護やケアという行為に人々が関わろうとするモチベーションも、もしかしたら、そうした「知りたい」「関わりたい」といった利用者にストレートに向けられた関心にあるのかもしれない、と思えるようになった。
もちろん現場の業務を遂行することと、知りたいという知的好奇心に素直になることとのバランスをとるのは実に難しいことだ。しかし、知的好奇心とわかりたいという欲求、そしてわかったときの驚き、それが利用者と対等に、そして尊敬をもって向き合う始まりになる。それだけは確かなようだ」