看護師の藤田先生の授業は、「老化とは?」というテーマから始まります。分かっているようで案外分かっていないことであり、グループワークをしてみると、自分の老化に対するイメージがいかに狭かったかということを知ります。ひとつのグループの中でもそうですし、各グループ発表をしてもらうと、さらに老化のイメージは広がっていきます。そうして様々な老化を集め、老化に対する適切な知識を得ることで、自分が高齢者と接する中でどのように支援していくかも変わってくるのです。
たとえば、グループワークで発表されるのは以下のような内容です。「動作が緩慢になる」、「視力の低下」、「しわや白髪が増える」、「耳が遠くなる」、「反射神経が鈍くなる」、「融通が利きにくくなる」、「判断力が鈍くなる」、「背が縮む」、「食欲が落ちる」、「人の意見を聞かなくなる」、「物忘れがひどくなる」、「悪い方にばかり考えてしまう」、「抵抗力や免疫力が下がる」、「ケガをすると治りにくい」などなど。
全体的に見て、悪くなるというマイナスのイメージですね。その中でも、様々な身体的な機能や能力の低下が多く挙げられています。運動機能の低下、新陳代謝の低下、免疫力の低下、反射神経の低下、判断力が鈍くなるなど、とても良く分かる意見でありイメージです。それからもうひとつ、精神面における低下も挙げられています。
藤田先生は、身体的な機能低下と精神面における低下を分けて考えるべきだと主張します。なぜなら、身体的な機能低下は多かれ少なかれ誰しもが避けては通れないことであるのに対し、精神的な低下については人それぞれであり、必ずしも老化として現れる現象ではないからです。このあたりに、私たちが高齢者に関わる際のヒントがあるかもしれません。
私の尊敬する思想家である故吉本隆明さんは、「医者も、看護師も、介護士も、老人とは何か、どういう存在なのか本当にはわかっていない」と語り、「医療や治療の専門家が患者の個人差を本気になって考えないというのは致命傷ではないか」「何がなんでも患者本位に切り替えていかなければならない」と主張しました。
ここから先の吉本隆明さんの「老い」に対する叙述はあまりにも素晴らしすぎるので、ぜひひとりでも多くの方に語り継いでいってもらいたいとさえ思います。長くなりますが、彼の言葉を引用させていただきます。
「年を取るの何が一番つらいか。それは、自己の意志と、現実に自分の体を動かすことができる運動性との間の乖離(かいり)が、健康な人には想像できないぐらいに広がるということだ。思っていることや考えていること、感じていることと、実際に体を使ってできることの距離が非常に大きくなる。
(中略)
自分の気持ちは少しも鈍くなっていない。それどころかある意味ではより繊細になって、相手の細かい言葉にいちいち打撃を受けているのに、そのことを表す体の動きは鈍くなっているという矛盾。そしてそれを理解されないジレンマ。その点に絶望している現実を、医師や看護師、介護士はどの程度知っているのだろうか」
今から10年以上前の新聞記事です。