「平穏死のすすめ」

「口から食べられなくなったらどうしますか?」というサブタイトルに表されるように、胃瘻などを付けて経管栄養を行う延命至上主義に疑問を投げかけた書です。珍しいのは、この本の著者が、救える命があればあらゆる手段を施してでも救うという医療の考え方を有する医師であるということ。看取りの問題を論ずる際、どうしても医療と介護の視点は異なります。できる限りのことをして命を守ろうとする医療の立場とその人の生活や生き方に沿った安らかな最期を望む介護の立場。どちらが正しいということではなく、どちらもが対となって議論し合い、互いが違った視点でも考えられるようになることで、命も生き方も尊厳も全てが総合的に大切にされてこそ、その人にとっての平穏な死、平穏死が訪れるのだと思います。


なぜ私たちは平穏な死を迎えることが難しくなってしまったのでしょうか。多くの方が自宅での最期を迎えたくても、家族に負担や迷惑を掛けるという想いからホームでの最期を望むにもかかわらず、実際は8割の方が病院で亡くなります。それは医療の発展により、老衰の終末期にもかかわらず、延命治療を施されるからです。高齢になればなるほど認知症は増え、いずれ自然と自分の口ではものが食べられなくなります。無理に食べよう(食べさせよう)とすると、誤嚥(ごえん)して肺炎を引き起こします。病院に入院して肺炎は治まりますが、今後のことを考えて、胃瘻を勧められます。認知症の方は自分では判断できませんので、最終的には家族がその判断を委ねられるのです。

 

最も楽なのは自然死(老衰)であることを分かっていても、医師にとっても、家族にとっても、何もしないことは心理的負担を伴います。口から食べられなくなった人に、胃瘻という方法があるのに、それを付けないことは餓死させること、見殺しにすることにつながるのではないか。もし命を長らえることができるのならば、胃瘻を付けてでも1日でも長く生きてもらいたい。そうした深い悩みを超えて、胃瘻を付けるという決断をしたとしても、その胃瘻などの経管栄養が原因となって再び誤嚥性肺炎が引き起こされます。しかし、最期を迎えるとき、単なる延命措置は要らないという人が74%で、医師ではなんと82%に上るという報告もあるように、私たちは実は分かっているのです。

 

特別養護老人ホームの常勤医となった著者・石飛幸三氏が平穏死のために行ったことは、肺炎を防ぐために過剰な水分や栄養分をあげない、できれば経管栄養は避ける、口腔ケアを推進する、職員の意識をできれば何もしないで看取る方向に変えていくなど。その結果として、肺炎が減少し、救急車を呼ぶ回数が少なくなり、ホームで最期を迎える人が増えたのです。もちろん、常勤医としてかかわることができたからこそでもあるのですが、誰もが望んでいる方向性なのではないでしょうか。ホームでの看取りで大切なことは、何よりも少しでも時間があれば、介護士が、看護師が、最期を迎えようとしておられる方の傍らに居てあげることなのです。著者は最後に勇気を持って、力強く、こう締めくくります。


老衰のため体に限界が来て、徐々に食が細くなって、ついに眠って静かに最期を迎えようとしているのを、どうして揺り起こして、無理やり食べなさいと口うぃ開けさせることができましょうか。現場を知っている者からみると考えられないことです。もう寿命が来たのです。静かに眠らせてあげましょう。これが自然というものです。これが平穏死です。