「ザ・トライブ」

登場人物が全員ろうあ者であり、全編にわたって手話のみ、字幕なしで構成されている映画が公開されると聞いて、ぜひとも観に行きたいと思っていたところ、佐々木先生の娘さんがすでに観たとのことで、またしても先を越されてしまいました。娘さんいわく、「日本の若者たちはぜひ観るべき」とのことでしたので、すでに若者とは言えない私ですが(笑)、早速劇場まで足を運びました。実際に観てみると、本当にコミュニケーション手段は手話しか使われておらず、実に静謐な時間が流れたと思いきや、ちょっとした物音や人間の呼吸が響き渡り、聞こえないけれども主人公たちの言葉が飛び交っているように聞こえる不思議な体験でした。


介護や福祉にまつわる映画のひとつとして観に行ったのですが、そういったこととはほとんど接点のない映画でした。良い意味で期待を裏切られたということ。未熟な少年や少女であるがゆえの歪な愛や金、暴力ばかりが支配する世界で彼ら彼女らは生きざるをえず、さらにろうあ者であることが彼らをその世界に閉じ込め、加速させてしまいます。

 

最初はその露骨すぎるほどの表現に驚きを隠せませんでしたが、次第に彼ら彼女らの表現方法や生き様は、私たちがオブラートに包んで隠してしまっている日常を突き破ってきたのではないか、と次第に思えるようになりました。彼ら彼女らの感性はまるで削りたての鉛筆のように尖っているのです。それはいつの間にか削らなくなってしまった鉛筆の先が丸まって、ぼやけた文字しか書けないような私たちの生き方を鋭く批判しているのかもしれません。

 

北野武監督の「あの夏、いちばん静かな海」(1991年)という作品がありました。この映画の主人公もろうあ者であり、サーフィンにのめり込む青年でした。ろうあの青年と少女の恋愛を描き、音楽以外はほとんど無音という構成で評判になりました。この映画はこの映画で良かったのですが、どうにも世界を美化しすぎてしまっている気がして、しっくりこなかったことを覚えています。音が消えると心が穏やかになるというのは間違いで、実は人間の持つ愛や孤独や暴力性といったあらゆる感情が鋭く、純粋になるのだと思います。その意味では、「ザトライブ」の方が圧倒的に真実に迫った映画だと感じました。

 

それにしても、この映画を観ると、私たちは何と騒々しい喧噪の中で日々を生きているのだろうと感じざるをえません。私は仕事上、屋外で携帯電話を手に話すことが多いのですが、一歩外に出ると、静かな場所なんてどこにもないことに気づかされます。人々の話す声、電車が走る音、アナウンスや呼び込み、飛行機が飛ぶ爆音などなど。相手の声が聞こえにくく、またこちらの言っていることも届きにくくて、話しながらも静かな場所を求めて彷徨ってみても、これらの雑音から逃れることはできません。うるさいけれど中身は何もない世の中で生きていることに、私は半ば絶望を感じざるをえないのです。「愛と憎しみゆえに、あなたは言葉を必要としない」というキャッチコピーは、まさに正しいと感じました。