予告編を見たときから心を奪われ、公開が待ち遠しかった映画です。実際に観に行った率直な感想としては、期待通りというか、期待以上の作品でした。美しい映像と音楽、行間のあるシナリオ、そして素晴らしい役者たちによる、観終ったあとには拍手を送りたくなるような映画です。ハンセン病患者への差別や偏見という重いテーマを扱っているにもかかわらず、どら焼きの「あん」というオブラートで包みつつ、人生や生命の光り輝く美しさを静かに表現しています。どれだけ絶望しようとも、私たちの周りにある自然がもたらす、この世界のあらゆるものに耳を澄ませ、目を向け、語りかけることの大切さを教えてくれるのです。
ある春の日、千太郎が店長を務めるどら焼き屋「どら春」に徳江はどこからともなくやってきました。アルバイト募集の張り紙を見て、「時給200円でもいいから」と言う徳江をやんわりと断る千太郎でした。日を改めて再び訪れた徳江は、タッパに入った手作りのあんを千太郎に渡します。いったんはゴミ箱に捨てたあんを取り出して、ひと口舐めてみると、これまでに味わったことのない美味しいあんだったのです。千太郎はあんづくりを徳江に教えてもらい、そのおかげで「どら春」のどら焼きは評判になり、行列ができるまでになりますが…、というストーリーです。とても印象的なのは、徳江と千太郎があんをつくるシーンです。あまりにも手の込んだあんづくりに、千太郎はこう言います。
千太郎「いろいろややこしいですね」
徳江「うん、まあ、いや、もてなしだから」
千太郎「おもてなし?お客さんのですか?」
徳江「いや、豆へのよ」
千太郎「豆?」
徳江「せっかく来てくれたんだから。畑から」
正直に言うと、この映画を観るまでは、ハンセン病についてよく知らないでいました。隔離や差別があったことや裁判が行われたことは新聞やニュース等で目にしたことはありましたが、具体的なことは何一つ知らないでいました。撮影後のインタビューの中で、樹木希林さんが
「私、72歳になったんだけどさ、この歳になるまでハンセン病患者の人たちの、こういう状況ってものを知らないで過ごしてきたっていう、なんか後ろめたいっていうか、恥ずかしい思いがあります。少しでも添うみたいな人生はなかったのかと思うと、自分を恥じましたね。それがこの映画を撮り終っての感想」
と言う気持ちが分かる気がします。私たちは知らなければならない、耳をすませるから始めなければならないのですね。
「あんを炊いているときのわたしは
いつも、小豆の言葉に、耳をすましていました。
それは、小豆が見てきた雨の日や晴れの日を、想像することです。
どんな風に吹かれて小豆がここまでやってきたのか、
旅の話を聞いてあげること。
そう、聞くんです」
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