記憶に残る人々

5月短期Bクラスが修了しました。5月は2つの短期クラスがありましたので、まさしくあっと言う間に始まり、終わってしまった感があります。とはいえ今回のクラスは、人数は少ないながらも、とても個性的な方が多く、実に賑やかで楽しいクラスでした。この2倍の人数がいたらどうなってしまうのだろうと思ってしまうぐらい(笑)。年齢も性別も生きてきた歴史も全く異なる、個性の強い方々が、遠ざけ合うでもなく反発するでもなく、互いに理解し認め合い、見事に融合し、ひとつのクラスとしてまとまっていたのが印象的でした。こうしてたくさんの生徒さんたちとお会いして、時を過ごしていると、良い意味でも悪い意味でも、個性的な人たちほど私たちの記憶に残っているのです。


最近思うのですが、私たちが生きているとは、人の記憶の中で生きているということでもあります。ただ単に心臓が動いているという生きているだけではなく、私たちは人の記憶の中でも生きているのです。「私たちは記憶の中でしか死ねない」という言葉がありますが、これは裏を返せば、私たちは人々の記憶の中でこそ生き続けることができるということです。その場にいなくても、人々の記憶の中に残ってさえいれば、永遠に生き続けることができる。なんてことを考えていくと、難しくて深みにはまってしまいそうですが、つまり人の記憶に残ることは大切だと私は思うのです。

 

ここで大切なのは、良い意味でも悪い意味でも記憶に残るということです。もっと言うと、悪い意味でも記憶に残っている方が、残っていないよりも良いということ。私たちは小さい頃から、できるだけ他の人たちや社会のルールや雰囲気に合わせて生きることを教えられてきました。それは目立たないようにということであり、つまり記憶に残らないということでもあります。でも本当にそうなのかなと思います。たとえ人に煙たがられようと、空気が読めなくても、多少なりとも他人に迷惑をかけても、記憶に残っている人は生きているのです。私はそういう人たちにあこがれます。

 

私たちはもっとわがままに生きていいのです。私たちが思っているよりもずっと自分勝手でいいのです。もちろん、そのためには他の人たちのわがままも受け入れなければならないのですが、お互いが縛り合うような生き方よりも、お互いのわがままや自分勝手をなんとか認めて、個性を光り輝かせる方が楽しくありませんか。そうすれば、私たちはたくさんの記憶のある人生を生きることができ、たくさんの人々の記憶の中で生き続けることができるはずです。

 

最終日には、押し花でデコレーションされたメッセージボードをいただきました。ご自身のお庭で採れた花々を研修中にノートに挟んでつくってくれたそうです。クラスメイトの写真が2パターンとシンメトリーに配置されたメッセージカードが美しいですね。皆さんの心が込められたプレゼントを嬉しく思います。忘れられない日々とメンバーたち。これからもこのメッセージボードとともに、皆さんは私たちの記憶に残り続けるのだと思います。