そこに愛はありますか?

介護が愛であるならば、介護技術とは愛のある技術、または愛を伝える技術のことです。湘南ケアカレッジの先生方の授業を聞いていると、いつもそう思います。ケアカレの卒業生さんたちは分かっていただけると思うのですが、介護におけるひとつ1つの動作には根拠があり、それは相手(利用者さん)にとって安全であるか、安心であるか、気持ちの良いものであるかに基づいています。いかに素早く、いかに効率的に仕事ができるかというのは単に技術であり(もしくは手抜きと言ってよいかもしれません)、介護技術ではありません。相手を想うことを追求して初めて、介護技術となり、そこには愛が宿っているのです。

 

ここで私が言う愛とは、人間愛のようなものでしょうか。愛にもいろいろあって、異性を愛する恋愛、兄弟姉妹を愛する兄弟愛から、身近な人を愛する隣人愛、住んでいる地域を愛する地元愛、見返りを求めない無償の愛なんていうのまで様々です。いずれの愛も、対象のことを想うという点で一致していますが、その深さや密度には違いがあるはずです。誰もがいろいろな形の愛を抱いて生きています。

 

さらに、愛は無限であるという点においても、どの種類の愛も同じです。ある一定の量の愛があり、それを半分に切り分けたりするのではなく、愛は天井知らずで、いくらでも生み出すことができるということです。1人の子どもがいる親と比べて、3人の子どもがいる親の愛が3分の1だとは誰も思わないはずです。

 

しかし、ときに私たちは、愛は量が決まった一定のものだと勘違いしてしまうこともあります。時間がない、お金がない、許されない、自分には関係がないなどと理由をつけて、愛を制限し、分割しようとすると、いつの間にか愛は妥協し打算的になっていきます。それはもはや愛と呼ぶことはできません。

 

なんだか難しいことを書いてしまいましたが、介護や福祉にたずさわる私たちは、できるだけたくさんの愛を持って生きいくべきだと思います。時間がないからできない、と文句を言うのではなく、どうすればできるのか考えること、工夫すること、声を上げること。

 

愛は、人間のなかにある能動的な力である。人をほかの人々から隔てている壁をぶち破る力であり、人と人を結びつける力である」とエーリッヒ・フロムは言います。

 

もしそこに愛があるのであれば、出し惜しみすることなく、私にはできないという思い込みを捨て、能動的に人と関わっていく。そして、自分の壁をぶち破り、人間として他者と本当の意味でつながる。そうすることで、私たちは一度きりしかない人生をより良く生きることができる。少なくとも私はそう信じています。