湘南ケアカレッジでは、研修中に誕生日の生徒さんや先生がいた時には、誕生祝いをさせていただきます。皆でハッピーバースデーソングを歌い、ささやかながら誕生日ケーキをお渡しします。それぞれに感情表現は異なりますが、誰もが喜んでくれます。誕生日を迎えた本人だけではなく、その周りの祝ってくれた人々も嬉しそう。誕生日を祝うこの文化は、湘南ケアカレッジが開校して最初のクラスに、たまたま誕生日の生徒さんがいたところから始まりました。とある生徒さんが色紙を書いて贈ろうと提案してくれ、それに便乗する形で私たちからもケーキをプレゼントしたのです。今思えば、あの時、愛を引っ込めなくて良かったと思います。
愛を引っ込めないなんて大げさかもしれませんが、つまり、相手が喜んでくれそうなことを思い切ってやる、その後の結果を恐れずに行動するということです。実は、学校として誕生日を祝うことにはリスクが伴います。思いつくところでは、誕生日にもかかわらず、情報が洩れてしまって、祝われずに終わってしまう(正直に告白すると、ケアカレでも1度ありました)。もっと生々しいところで言うと、ケーキをプレゼントするとなると、年間でいくらかかるのか、誰が買いに行くのかという現実的な問題が発生します。このあたりで、普通の学校では却下されてしまい、大体において実現しません。せっかくの気持ちにもかかわらず、愛を引っ込めてしまう理由は山ほど思いつくのです。
そもそも私の人生も、愛を引っ込めてしまうことの連続であった気がします。私にとっての最大の課題は、愛を引っ込めないことであると言っても過言ではありません。それぐらい、難しい問題であり、気がつくと、できない理由を自分で考え出して愛を引っ込めようとします。そこにはもちろん気恥ずかしさという感情もあると思います。相手を喜ばせようとして、自分の気持ちを表現したり、行動で示したりしたとき、もし相手に喜んでもらえなかったら、かえって迷惑に思われてしまったらどうしよう。ついその先にある相手や周りの反応を考えてしまい、何もしない方を選んでしまうのです。たしかに何もしないと何も起こらず平和ですが、あのときああすれば良かったという後悔だけはいつまでも引きずっています。
人間が死ぬときに後悔するのは、失敗したことではなく、やらなかったことだと言います。子どもと一緒にもっとたくさんの時間を過ごせば良かった、親に感謝の気持ちを伝えれば良かった、自分のやりたい仕事をすれば良かった、あのとき好きだと言えば良かった、などなど。つまり、愛を引っ込めてしまったことを、私たちは死ぬときに死ぬほど後悔するのです。もちろん後悔のない人生などないのかもしれませんが、できる限り後悔の少ない人生を送りたいと思うならば、何よりも愛を引っ込めないことです。たとえ、失敗して周りの人々に笑われても、誤解されて嫌われたとしても、そこに相手に対する気持ちがあるならば、私たちは愛を引っ込めてはならないのです。湘南ケアカレッジも愛を引っ込めない学校でありたいと思います。