卒業生が外出支援(ガイドヘルプ)をしている雪嶋淳さんの作品集です。副題に「自閉症の僕の世界スケッチ紀行」とあるように、ネパール、イタリア、トルコ、台湾、中国、オーストラリア、ハワイ、シンガポール、日本に旅をしたときに描いた風景や人物のスケッチがまとめられています。まず驚かされるのが、雪嶋さんがたくさんの国々を訪れていること。私が旅をしたことがあるのは日本とシンガポールぐらい。それ以外は私にとって未知の世界ですが、彼のスケッチを観ていると、よくその地の雰囲気が伝わってきて、あたかもそこに行ったかのような気持ちになるから不思議です。
なぜだろうと考えてみたところ、彼のスケッチには人間が登場して、こちらを見ているからではないかという結論に達しました。小説にたとえると、風景だけのスケッチが一人称で語られる小説だとすれば、風景の中に人物が登場することで二人称の小説になるように、雪嶋さんの作品は自分を含めた世界を俯瞰するような視点で描かれているのです。
一人称の視点で観た風景ではなく、風景とそれを鑑賞する私たちの間に人物をはさむことによって、私たちはその人物になったような気持ちになり、あたかもそこにいるかのような錯覚を起こすのです。その人物が未知の世界と私たちの橋渡し役を担っているのです。
難しい解釈は置いておいて、雪嶋さんの作品だけではなく、障害のある方々の作品を観ていると、ハンディは力であるということが分かります。私たちは何から何までできることが能力であると考えてしまいがちですが、何かが欠けているからこそ他の部分が増幅されて、そこが力になるのです。
これは自分の人生を振り返ってみてもそう思います。私自身とても欠落しているところが多くて、それを補う形で(またはそのコンプレックスを励みにして)他の部分で何とかやってきました。分かりやすい例を挙げると、私はお酒が全く飲めません。お酒が飲めたら(良くも悪くも)人生が大きく違っていたはずと今でも思っていますし、飲めるようになりたいのが正直な気持ちです。でも飲めないことは、どうしようもない私のハンディです。私はお酒を美味しく味わったり、酔って楽しくなったり、気を紛らわしたり、お酒の力を借りて何かをしたりすることができません。
だから、お酒が飲める人に比べると、お酒の席や場に誘われることも、お酒を飲んで楽しく過ごす時間も少なく、ひとりでいることが多かったと思います。でもその分、他の人がお酒を飲んでいる時間に私は自分で考えたり、本を読んだり、ものを書くことに時間を費やすことができました。自分としてはそうせざるを得なかった、そうしなければ心の隙間を埋めることができなかったのですが、今振り返ってみるとそれが力になっています。
つまらないたとえで申し訳ありませんが、つまりハンディは力とはそういうことだと思います。できないことがあるからこそ、できることが分かる。できることを愚直にやり続ける(やり続けなければ生きていけない)からこそ、できることが力になる。そう考えると、何でもできるということは、何もできないということでもあります。いわゆる普通というのは、実は何もないということで、恐ろしいことですね。欠落がパワーであることを、私たちはもっと知っておいても良いのではないかと思います。
ケアカレの近くで偶然にも雪嶋さんにお会いしたので、事務所に急いで本を取りに行って、サインをしてもらいました。雪嶋さんありがとうございました!