「へろへろ」

本や映画、音楽は両手の指の数ぐらい読んで、観て、聴いて、ようやくその中にひとつか2つの当たりがあると私は考えています。この本はまさに当たりでした。こういう本を待っていたと言っても良いかもしれません。介護施設を立ち上げる物語ですが、介護の本ではありません。介護のかの字も知らない人が読んでも十分に楽しめて、もしかすると、介護の世界に興味を持ったり、下手をすると、介護の仕事をやってみたいなんて思ってくれるかもしれないと感じます。登場人物たちや著者の想いやユーモアだけではなく、介護という仕事のエッセンスも詰め込まれていて、介護や福祉にたずさわっている人たちには絶対に読んでおくべきと思わせられるほど素晴らしい本です。

 

「宅老所よりあい」は1991年10月、伝照寺というお寺のお茶室で始まったデイサービスにその起源があります。「あたしゃここで野垂れ死ぬ覚悟はできている!」と叫ぶ、大場ノブヨさんという明治生まれの強烈なおばあさまのために始まりました。まずはお茶室でのよりあいから始まり、あっという間に噂は広まり、いつの間にかお年寄りたちが本堂から溢れるようになりました。次に民家を借りて本格的なスタートを切り、村瀬孝生さんと下村恵美子さんらを中心としたメンバーに、介護職員としてではなく編集者として、いや友だちとして加わったのが著者の鹿子裕文さんでした。そこから物語は怒涛の展開を見せ、ついに特別養護老人ホームをつくってしまうという見事な実話です。

 

 

ここから先は、私のこころに突き刺さった本文中の言葉を引用させてもらいます。私が講釈を垂れるより遥かにその方が面白いし、本質が伝わると思うからです。

 

「宅老所よりあい」の介護は、一人のお年寄りからすべてを始まる。その人の混乱に付き合い、その人に沿おうとする。添うのではない、沿うのだ。ベタベタと寄り添うのではない。流れる川に沿うように、ごく自然に沿うのだ。自然に沿う以上、こちらの都合で流れをせき止めてはいけない。流れを変えてもいけない。ひとつひとつの川には、それぞれの流れ方がある。海に至るまでの道のりは、ひとつとして同じものはない。

(49ページ)

 

 

赤字を補てんするために「よりあい」の職員は本業以外のことにも精を出す。貧乏暇なしとはこのことだ。年に2度ほど開かれる大規模なバザーの運営はもちろん、夏になれば地域の夏祭りにたびたび店を出して、子ども相手に「光るおもちゃ」を売る。休日返上で厨房に立ち、季節の果物を使ったオリジナルのジャムを作って売る。村瀬孝生は講演に出かけて講演料を稼ぐ。講演終了後にはカンパを呼びかけ、オリジナルTシャツや本を並べて売る。そうして集めたお金が、不足する施設の運営費になり、自分たちの給料の足しになる。そこまで含めて「よりあい」の仕事なのだ。(52、53ページ)

 

 

多くのお年寄りは「通い」から施設の利用が始まる。「通い」とはデイサービスのことだ。もちろん、お年寄りは喜んでくるわけではない。自分で進んでくるわけでもない。見ず知らずの人間しかいない、見ず知らずの場所に、わけもわからず(本人にしたらだまされたような形で)連れてこられるのだ。そんなことをされて「ああ愉快だ」と思う人間はこの世にはいない。

 

「わたしをどうしようっていうんだい!」

 

そう思う方がむしろ真っ当である。だからお年寄りは激しく混乱している。疑心暗鬼にさいなまれている。何かされるんじゃないか、お金を巻き上げられるんじゃないか、そう思って警戒している。

 

お茶を出されても口にしないお年寄りがいる。カバンを握りしめて方時たりとも放さないお年寄りがいる。逃げ出そうとするお年寄りもいる。職員がにこにこ近づいてきても、「だまされてなるものか」と緊張している。

 

介護専門職はそういう状態から、その人との関係を一から作っていくことになる。そしてそこに専門職としての職能をいかんなく発揮させることになる。

 

たとえその日はうまく信用してもらえたとしても、悲しいかな、相手はぼけている。さよなら。またあしたね。にこやかに送迎できても、翌朝になればそのささやかな記憶はリセットされてしまっている。

 

「わたしをどうしようっていうんだい!」

 

そんな毎日の連続は、一見、何もかもが水の泡という「徒労の日々」のようにも見える。けれど「よりあい」は、その混乱にまた一から沿う。繰り返すことを繰り返し続ける。

 

 

そうすることで、短期記憶は(溶けやすい雪もいつかは静かに降り積もっていくように)少しずつ積み重なっていく。ここに通ってくることが、ひとつの「習慣」として認知されるようになる。職員やそこに集うお年寄りとも、いつしか顔見知りになり、場所にも雰囲気にも少しずつ慣れて落ち着き、本当の意味で「集える」ようになる。その折り合いがつく日を、無理強いすることなく、ひたすら辛抱強く「待つ」のだ。(56ページ)

 

 

ちょうどそのころ、村瀬孝生に大手マスコミから2つのオファーが舞い込んだ。「よりあい」の日常を映像化したいというドキュメンタリー番組の取材依頼と、新聞に連載エッセイを書かないかという原稿依頼である。

 

「これに飛びつかない手はないんじゃないですか?」

 

僕は世話人会でそう進言した。

 

「テレビや新聞を通じて広く知ってもらえれば、Tシャツも売れるし、寄付をしたいという人もたくさん出てくると思う。こんなチャンスはめったにない」

 

募金箱を置いてもらえる場所もきっと増えるはずだし。運がよければ向こうからその申し出が来るかもしれない。いいことずくめじゃないか。僕はそう思った。すると下村恵美子は即座に「だめだ!」と行った。

「世の中には、もらっていいお金と、もらっちゃいかんお金がある!」

珍しく厳しい口調だった。

 

「そんなものを利用して集めたお金は、自分たちで集めたお金とは言わない。自分たちで集めたと胸を張って言えないなら、そんなお金にはなんの意味もない。意味のないお金でどんなに立派な建物を建てたって、そんな建物にはなんの価値もない!」

 

そして下村恵美子は「そこを間違ったら、私たちは間違う」と言った。

 

その夜、僕は議事録を起こしながら、下村恵美子の発言について考えを巡らせることになった。

 

もらっていいお金と、もらってはいけないお金がある。意味のあるお金と、意味のないお金がある。自分たちの力と呼べる力と、自分たちの力とは呼べない力がある。間違っていることと、間違っていないことがある。その違いがわからなければ、僕が何を間違おうとしていたのかはわからない。

 

 

よく考えないとわからないことに、大事なことの多くは潜んでいる。それは茂みの奥に転がっていった小さなボールだ。草にかぶれ虫に刺されながら探すボールだ。(110、111ページ)

 

 

思えば「自己責任」という言葉が「老い」という不可抗力の分野にまで及ぶようになって以降、人は怯えるようにしてアンチエイジングとぼけの予防に走り出した。のんびり自然に置いて、ゆっくりあの世へ行く。それを贅沢と呼ぶ時代が来てしまったのかもしれない。とにかく国は生存権に帰属する介護問題を、サービス産業に位置づけ、民間に託して解決を図る道を選んでしまった。その結果、畑違いの企業、たとえば不動産会社や建築会社、居酒屋チェーンまでもが介護事業に乗り出し始めた。その政策はもう後戻りすることはないだろう。すべては追加オプション式の明朗会計。介護の世界でも、それがこれからのスタンダードになることだろう。サービスとはつまり、手間という手間をひたすら金で買い続けるしかない代行システムのことなのだ。(188、189ページ)

 

人は施設に入った途端、まるで社会から姿を消したように「見えない存在」になってしまう。施設という言葉に暗い影が見え隠れするのは、社会から放逐された人々が幽閉されているというイメージが今もあるからだろう。最近ではそうしたイメージを払拭するためか、地域交流スペースを持つ施設も増えてきた。けれど、そこに出入りする人は少ないと聞く。理由は簡単だ。多くの人々にとって「そこが遊びに行きたい場所じゃないから」だ。僕だってそうだ。そんな所には行きたくない。それに「交流」という言葉を施設側から持ち出されると、人はどうしても荷の重さを感じる。やらねば感が出てしまうのだ。

 

 

だから交流なんてしなくてもいいと僕らは思った。僕らがこのデッキに望むことは、少なくともそういうことではない。「気配」がなんとなく混ざっていればそれでいいのだ。(202ページ)

 

「よりあい」は介護を地域に返そうとしている。老いても住み慣れた町で暮らすには、もうそれしかないと考えている。人と人とを自然な形でつなげ、顔見知りの人を増やしていくことで、そこに「困ったときはお互いさま」というセイフティネットを作ろうとしている。

 

けれどそれは口で言うほど簡単なことではない。一度崩壊してしまった「ご近所づきあい」は、もう元の形では再生できないし、疑似的な再生を目指そうにも、即効性のある手段などひとつもない。

 

 

逆に問題を抱えた人間をどこかに追いやるのはとても簡単だ。電話一本、苦情ひとつで何かが動いて片づけてくれる。実にインスタント。実にコンビニエンス。しかしそれで「ほっと胸をなでおろすような安心」を得ても仕方ない。それは「本当の安心」なんかじゃないからだ。いつか自分が逆の立場になったら、途端に不安だらけになるという「暫定的な心の平穏」に過ぎない。因果はめぐる。他人にしたことは、必ず自分にも返ってくる。老いた人間やぼけた人間を邪魔もの扱いする社会は、いつか自分も邪魔者扱いされることになる社会だ。人が人を薬漬けにして、おとなしくさせようとするのなら、その人もいつか薬漬けにされていくことだろう。何はともあれ、人が人をダメにして、人が人を追い出していくシステムの中で、びくつきながら暮すのはあまり楽しくないはずだ。(278ページ)

 

私がこの本を通して感じたことは、彼ら彼女らは自分のためだけではない誰かのため、何かのためにへろへろになりながら頑張っているということです。逆に言うと、自分だけのためではなく、誰かのため、何かのために本気で何かをしようとすれば、へろへろになるということ。へろへろにならないうちは、何も生まれない。今あるシステムの中で何ごともないような生活を送っていても、何も変わらない。困っている誰かを支援する対人援助とは、効率や合理性とはまったく無縁の、つまりへろへろになる仕事ということなのです。