ランチ会

先月、39期生のランチ会に招待されて、その日の授業を担当してくださっていた先生たちと、ケアカレの近くにあるイタリアン「マリー」に行ってきました。昨年の4月短期クラスは39期生となり、「39会」と呼ばれています。卒業してからもう1年半近く経ったとは思えないほど、39会の皆さまとは、様々な機会を通して交流をさせていただいています。そのうちのひとつがランチ会です。お昼の時間だからこそ、授業にも差し支えなく、先生方も安心して参加することができますし、卒業生さんたちとゆっくりと話すことができるのです。ランチ会の案を初めて聞いたとき、とても革新的なアイデアだと思い、今ではなぜこれまでなかったのだろうと不思議に思えるぐらいの良い機会となりました。

 

こういう機会があるのは、卒業生さんたちと学校との交流があるからです。ただそれだけではなく、39会のように、これほど長くつながりが続いているのは、その中心にいる人たちの人柄が素晴らしいからだと思います。誰彼を好き嫌いで区別することなく、誰しもがウエルカムで、いつでも集まれる雰囲気をつくることができる。細やかな気遣いと、こまめな声掛けをできる人がいて、それに共鳴して支えたり、盛り上げたりする人たちも周りにいる。そんな人たちが集まる場に参加させていただき、本当に嬉しく思います。

 

卒業生さんたちとランチをすると、彼ら彼女らの状況が(介護職員初任者研修を受講してくれていた)あの頃とは違っていることにまず驚かされます。よく考えてみれば、当たり前の話ですね。たとえば、介護の仕事をしてもう1年以上頑張っているという声を聞くと、あのときの○○さんの姿からは想像ができないと思ってしまいますし、その言葉の端々に介護者としての成長が見え隠れして、頼もしく嬉しく感じます。彼ら彼女らも私たちと同じ介護者としての地平線に立っているのだと先生方は感じるはずです。

 

 

このように、私たちがあるとき教えさせていただいた生徒さんが、いち介護士として目の前に戻ってきて、同じ立場で話しができることの意味は非常に大きいのです。教育という円の循環を直接的に見て、感じることができるからです。ともすると、今の時代の教育コンテンツは情報や資格を売るだけで終わりになりがちで、自分が教えたことが相手にどのような影響を及ぼしているのかを知ることができません。生徒さんにとって先生はどこまで行っても先生であるのですが、その円の循環を感じられないと、先生は何のために教えているのか、もっというと何のために仕事をしているのか、目的を見失ってしまうのです。これは教育がビジネス化されたことで生まれた大きな問題です。

 

私たちが目的や存在意義を見失うことなくここまでやってこられたのは、目の前の生徒さんたちに全力で向き合ってくださる先生方と、こうした機会をつくってくれたり、教室に遊びにきてくださる卒業生さんたちのおかげだと思います。ありがとうございます。