以前に紹介させていただいた「ユマニチュード入門」が実践編だとすると、こちらは理念編というべきか哲学編というべきか、ユマニチュードとは何かを根本的なところから語っています。私は逆でしたが、順番的には、こちらを読んでから「ユマニチュード入門」を読むべきだと思いました。正直に言って、本書を読む以前は、「ユマニチュード」について表層的なところしか理解していませんでした。それほど難しいことを言っているわけではなく、正しいことを正しく行うのがユマニチュードだと思っていましたが、その考えは覆されました。読めば読むほど味わい深く、私たちがいかに固定観念に縛られてしまっているかが分かります。決して大げさではなく、これはケアの思想の革命なのかもしれません。
ケア(する人)に必要なのは、感情と優しさ。これはユマニチュードの哲学の基礎ですが、一見すると、当たり前に思えるかもしれません。しかし、実際のケアの現場ではそうではなく、看護師が患者に話をする時間は1日に平均120秒であり、(認知症の利用者は特に)人間としての扱いを受けられなくなり、本人にとって良いことをしているはずだという思い込みのもとに尊厳を奪われます。ユマニチュードは、「よい扱い」という概念を提唱しますが、そこには深い意味があります。つまり、ケアに必要なのは感情と優しさであることも、良い扱いにしても、その言葉だけを切り取っても意味がなく、その深いところに込められた哲学的な意味を理解しなければ、私たちが革命を起こすことなどできないのです。
どこのページを開いても、実に思索の深い考えが散りばめられているのですが、私の心に最も刺さったのは、「適切な距離はない、ただ近づくだけ」という一節でした。ケアの現場では適切な距離感が必要だと言われていますが、ユマニチュードはこれを間違いだと指摘します。そして、必要なのは適切な距離感ではなく、近づくことだと提唱します。これは介護の現場だけではなく、あらゆる場面で見られる光景です。私はかつて、子どもの教育に携わってきましたが、子どもと接するときも、「適切な距離感を持って」という言葉はよく聞かれました。そうしないと相手をコントロールできなくなるから、というのが論理でした。たしかに、子どもは仲良くなりすぎると言うことを聞かなくなる(わがままになる)面があるからです。でも、そういう言葉を発するのは、たいていベテランの先生であり、若手の先生をたしなめるときに使われます。適切な距離感と言いつつも、自分が生徒に近づくことができないもどかしさの裏返しなのです。
距離感を取るよりも、近づくことの方が実は難しいのです。たくさんの新人の先生を見てきましたが、最初から(適切とされる)距離感を持って生徒と接することができる先生よりも、最初は生徒に近づきすぎる(近づくことができる)先生の方が、あとから伸びます。近づくことができる先生は、経験を積むことで、場面に応じて、近づいたり、少し離れたりすることができるようになるのです。怖くて近づくことができない先生は、永遠に近づくことができないので、生徒と離れたまま。私たちに必要なのは、親密さを排除したり、感情を殺したりすることなく、愛をもって相手にできるかぎり近づくこと。人は愛を必要としているのです。