「この世界の片隅に」

近代日本アニメ映画の金字塔、と称されるのも納得の作品でした。実は原作のマンガを先に読んでいたのですが、映画の方が断然良かったです。何が良かったとか、どこのシーンが感動したということではなく、全てにおいて素晴らしかったです。言葉にするのは難しい、これが筆舌に尽くしがたいということなのでしょうか。コマ割りからセリフ1つひとつ、声の表現力や絵の描写力、そして音楽に至るまで、映画としての完成度が非常に高いのだと思います。反戦映画であるにもかかわらず、話の中では誰一人として「戦争反対!」と声高に叫ぶことがなく、だからこそ余計に私たちの心に静かに響いてくるのです。

この映画の中で描かれているのは、戦時中の普通の人びとの生活です。どんな時代であってもそれほど変わることのない私たちの日常を普通に描くことで、その対比としての戦争の非日常性が際立ちます。アメリカの戦闘機に対して日本軍が砲撃を加える危険な状況において、主人公すずがその場面を絵に描きたいと立ち尽くしてしまうシーンは美しく、そして残酷です。私たちにとっての当たり前の日常は、実は当たり前ではなく、時代の波に翻弄されてしまうものなのかもしれません。いつしか激流に飲み込まれてゆくすず。彼女のしなやかさと生命力の強さに、私たちは普通であることのありがたさを教えてもらうのです。

 

実は今から10年ほど前、私はこの映画の舞台となった広島に住んでいたことがあり、呉にも何度か訪れました。大手の介護スクールにいた頃に、中国四国地方を管轄する広島支社に転勤し、およそ1年半働いたのです。広島の先生方はとても心温かい先生ばかりで、当時のまだ角の取れていなかった私を包み込んでくださいました。新しい人を受け入れて、むしろ広島に溶け込ませようとする気持ちがひしひしと伝わってきたものです。そんな先生方に私も心を開き、あっと言う間に仲良くなりました。私がその学校を辞めることになったとき、全員が集まってくれて盛大な送別会をしてくれたことは今でも忘れません。私が湘南ケアカレッジを立ち上げ、1年目に取材を受けたテレビ番組を観て、真っ先に電話してきてくださったのも広島の先生でした。

 

広島で働いていたとき、自宅から事務所まで毎日、原爆ドームの前を通って自転車で通勤していました。原爆ドームは広島の市街地のまさに真ん中にあり、私たちの日常生活のひとつの風景になっています。それは日常の風景でしかないという意味ではなく、日常の中に溶け込んでいるということです。あるときは何も考えることなく、あるときは戦争を思い出し、あるときは平和を願いながら原爆ドームの前を通りすぎます。このあたりの感覚は、東京や神奈川に住んでいる人たちとは全く違うところです。どこか心の片隅に、当たり前の日常の儚さや愛おしさを知っているからこそ、広島の先生方はあんなにも温かく私を受け入れてくださったのかもしれませんね。この映画を見て、何を想うかは、人それぞれに違ってくるはずです。私は家に帰って、子どもを抱きしめたくなりました。