恩は返せないけれど

人生も半ばを過ぎるほどの齢になると、自分のためではない誰かのために何かをすることが多くなってきます。誰かが必要としている情報を提供したり、誰かに必要な誰かを紹介したり、誰かに贈りものをしたり、ごちそうしたりなど、自分の経験や知識、労力、時間、お金を総動員して、誰かのために貢献する。お子さんがいらっしゃる方であれば、それがどういうものか分かるかもしれません。時として、ふと我に返った瞬間に、これだけあらゆるものを費やしているにもかかわらず見返りが全くないと感じ、もしかしたら自分は良いように利用されているだけかもしれないなどと空虚な気持ちになることがあります。そんなときには、自分の過去を振り返ってみることにしています。

私はこれまでたくさんの方々に助けられてきました。これはポジショントークではなく、ありがちな感謝の気持ちを表明しているわけでもありません。私の人生の半分ぐらいは、両親や祖父、祖母たちによって成立させてもらってきましたし、残り半分の半分ぐらいは血のつながっていない誰かに助けられてきました。ここでいう「助けられる」とは、経済的にサポートしてもらう、雨風をしのぐための住まいを提供してもらう、教育を受ける機会を提供してもらう、ご飯をご馳走してもらうなどといった生々しい意味です。もちろんその都度、感謝の気持ちはありましたが、瞬間的であり、表面的であったかもしれません。

 

年齢を重ねるにつれ、振り子の鉄球が向こうからこちらに戻ってくるように、いつの間にか反転し、誰かのために何かをするようになります。たとえば、祖母や両親に手取り足取り大切に世話をしてもらって育てられてきた私たちが、気がつくと、同じことを自分の子にしていたり、親の手を握って介護をしている。そうなったときに初めて、これまでの恩を深く感じるようになるのですから不思議なものです。そして、助けてもらったあの人に恩を返したいと思う気持ちは日に日に募っていくのですが、その人とは疎遠になっていたり、もうこの世にいなかったりして、返せそうにはありません。それどころか、今度は誰かのために何かをすることに忙しく、気がつくと過去のことなど忘れてしまいそうに。恩は受けた人に直接返したいのですが、どうやら難しいみたいですね。

 

 

その代わりに、自分が誰かのために何かができる人になることだと思います。誰かに教えてもらう人間ではなく、教えられる人間に。おごってもう人間ではなく、ごちそうする人間に。誰かを利用する人間ではなく、利用してもらえるような人間になる。感謝の気持ちを忘れずに。私の目標は、自分の肉体をつかって誰かのために無料で働けるようになることです。そういう人間になれたとしても、これまで私を助けてくださった方々はその姿を見ることもないでしょうし、恩は返せないと分かっているのですが、そうならないと私の気が済まないのです。私たちは誰かに育てられてここまで生きてきたことを忘れてはなりませんが、その次は、他の誰かのために生きていくことが恩返しになるのだと信じています。