「世界でいちばん美しい村」

この映画を観に行くまでには、様々な経緯がありました。クラフト工房LaManoが主催した展覧会を訪れたとき、壁に貼られていたネパールの村の写真に魅了され、映画の存在を知りました。その後、昨年末の介護職員初任者研修のクラスにネパール人の生徒さんが来てくれました。とても真面目な女性で、一生懸命に授業に取り組み、今は特別養護老人ホームで仕事に就いています。さらにケアカレのすぐ近所に、ネパール料理店「ソルティモード」ができました。ダルバートというネパールの代表的な家庭料理は、毎日通いたくなるほど美味しいです。そして極めつけは、ソルティモードでランチをしているとき、監督の石川梵さんにお会いしました。ネパールとこの映画には、何かしらの縁を感じざるをえません。

 

正直に言うと、映画を観る前は、「世界でいちばん美しい村」というタイトルには半信半疑でした。ネパールにあるラプラック村が本当に世界でいちばん美しいのだろうか、その美しさの基準もしくは根拠は何だろうと疑う反面で、もし世界でいちばん美しい村があるとすれば見てみたいという気持ちでした。それはたとえばブータンやノルウェイ、デンマークなどが世界で最も幸福度の高い国と言われても、今いちピンとこないのと同じ感覚です。たしかに現状の日本が世界でいちばん幸福な国であったり、美しい国であるとは到底思えないのですが、幸せや美しさには姿形がない以上、測ることも、他の国と比べることもできないのでは、とあまのじゃくな私はそう思ってしまうのです。

 

2015年4月に起こったネパール大地震をきっかけとして、この映画の監督である写真家・石川梵さんは現地に赴きました。そしてネパールの首都であるカトマンズから77キロメートル北西にあるヒマラヤ奥地の震源地、ラプラック村にたどり着いたのです。そこで出会った14歳の少年アシュバトルやその妹、そして家族や村の人々と交流を深めていきます。そこには確かに日本もネパールも変わらない、人びとの生活があると安心しました。それは家族の絆であったり、子どもたちの笑顔であったり、人を愛する想いであったりします。

 

日本とは大きく異なる部分もたくさんあります。神に対する強い信仰や祝祭以外にも、学校まで山を往復で数時間登り下りしなければならなかったり、絶壁にあるハチの巣から蜂蜜を採取するような死と隣り合わせの仕事、子どもの労働、質素な食事などなど。山脈の美しい風景とは裏腹に、貧しい生活がごく普通の光景としてそこにあるのです。それは文明化された私たち日本人には想像も及ばない、肉体的な苦痛を伴う生活です。それでも最後には、ネパールのラプラック村は美しいと思いました。それは人間が生きる美しさであり、もしかするとそこに人間の根源的な幸せもあるのではないでしょうか。私たち日本人は、肉体的な苦痛をできる限り手放すことに成功した代わりに、本質的な喜びを失ってしまったのかもしれません。