自分のルーツを知ること

先日、ウイリング上大岡で行われた岩佐まりさんの講演会に参加してきました。岩佐さんの話を聞きたい方々がたくさん集まり、会場は超満員でした。普段の講演会であれば会場の半分も集まらないそうです。さすが岩佐さんですね。開演ぎりぎりに駆け込んだ私の座る席はもちろんなく、久しぶりの立ち見。実は岩佐さんが話すのを聞くのは今回が初めてでしたが、期待を遥かに超える素晴らしい内容でした。ユーモアと笑いに溢れ、ときに涙あり、そして熱い想いが一貫して伝わってくる、これほどまでに完成度の高い講演はほとんど知りません。いつか近い将来、湘南ケアカレッジでも話していただきたいと思いますので、お楽しみに。

 

岩佐さんの話を聞いていて、ふと感じたのは、今の私たちを形づくったり、支えたりしているルーツがあるのだということです。ルーツとは、日本語に直すと発祥、起源、原点という意味です。つまり、岩佐さんがお母さまの介護をして、こうして多くの人たちの前で介護について話しているのは、決して今たまたま起こったわけではなく、小さな頃までさかのぼってゆくと、お母さまが大好きで仲が良く、友だちと遊ぶよりもお母さんと一緒にいる方が楽しいという子どもだったことや、女優になりたくて上京してテレビに出演したりCDデビューしたりという起源や原点があったからこそ。

 

講演の最後に「なぜ若いあなたがここまでのエネルギーを持ってお母さまの介護をしているのですか?」という質問が出ました。そこにはお母さまが大好きというルーツがあり、それが今の岩佐さんを形づくり、支えているのだと思います。

 

そう考えると、私もなぜ今こうして介護・福祉の教育にたずさわっているのかと振り返ってみると、私の曾祖母に行き当たります。ひいばあちゃん(こちらの方が自然なのでそう呼ばせていただきます)は、私が物心ついた頃はすでにほぼ寝たきりの生活を送っていました。目はほとんど見えず、耳は遠かったのですが、私がお盆や正月などに帰省すると、「大きくなったなあ~」と私の顔のあらゆるパーツを触りながら喜んでくれました。頭ははっきりしていて、枕元で手を握ってたくさんの会話をしました。食事のときにはリビングまで誘導するのが私の役目で、私は後ろ向きになって手を引きながら、一歩ずつゆっくりと10分ぐらいかけて一緒に歩きました。ひいばあちゃんの手の感触は今でも残っています。し、あの当時、ひいばあちゃんと過ごした時間は忘れ得ぬ思い出です。

 

 

なぜ幼い私が70歳近く年の離れたひいばあちゃんと幸せな関係を築けたのか、はっきりとは分かりません。ひいばあちゃんにとって私は可愛いひ孫だったのでしょうが、私にとってのひいばあちゃんは一体何だったのでしょうか。なんとなくではありますが、私にとってのひばあちゃんは神様のような存在だったのかもしれません。あまりにも歳が離れすぎていて子どもと大人という関係ではなく、生活もかけ離れているため同じ世界に住んでもいない、ただ生き物と生き物として、こころとこころで分かりあう、私にとっては波長の合う存在だったのでしょう。あのときの原体験が私のルーツであり、今の私を形づくり、介護・福祉教育を提供するモチベーションを支えてくれているのだと思うと、人生は不思議なものですし、ひいばあちゃんには感謝せざるをえないのです。皆さまも、自分のルーツを探ってみてはいかがでしょうか。