フィードバックとは鏡

施設内研修(ケアカレが施設に出張して行う研修)のチームワーク研修を行う中で、「フィードバックとは鏡であることを学びました」と小野寺先生がおっしゃっていました。フィードバックをする先生が鏡だとすると、フィードバックを受ける生徒は鏡に映し出された自分を見る(見せられる)ことになります。そこには良いことも、改善すべきことも、ありのままに映し出されているべきであり、フィードバックを受けた生徒さんたちは映し出された自分の姿を見て、どのように受け入れ、行動していくかが問われます。そして、私たち学校や先生方は、生徒さんたちにとっての良き鏡となるべきです。

 

(物質の)鏡とフィードバックをする私たちたちが鏡になることの違いは、悪く言えば、完全に客観的にはなれない、良く言えば、映し出すものを取捨選択することができることです。もっとも物質の鏡であっても、光の当て方や角度によって、映し出すものを変えることはできます。絶対的な客観などというものはないのです。だとすれば、私たち(先生方)がフィードバックするときの鏡としての意味は、生徒さんに対して何を映し出すのかを決められることにあります。

 

「ここは良く出来ているよ」と伝えれば、生徒さんは良くできていることを認識し、自信をもって、さらに深めようと思うはずです。「そこは○○した方がもっと良くなりますね」と伝えれば、生徒さんたちは改善点が分かり、次こそはできるようになろうと頑張ってくれるはずです。醜い自分ばかりが映し出されてしまう鏡を見てばかりでば、自信を失って当然ですし、現実離れして盛られた自分ばかりが映っている鏡を見てばかりでも成長は望めません。あまりに多くの情報が映し出されていても、混乱してしまう。フィードバックをする者は、できるだけありのままを映し出すべきですが、相手や状況に応じてどのような鏡になるべきかを選ぶことがもっと重要です。そこに先生としての技量や才覚が現れます。

 

この話には続きがあって、実は自分がどのような鏡であるかによって、また相手の鏡に映し出されるものも変わってきます。もしあなたが醜いものや悪いものばかりを映し出す鏡であるとすれば、相手も同じように醜く悪いあなたを映し返してくるはずです。これは先生と生徒の関係にも当てはまって、生徒さんの良いところを映し出して引き出せる先生は、生徒さんの鏡にもそのような先生が映っていて、良い反応が返ってきてリスペクトされます。

 

 

世の中は合わせ鏡のようになっているのです。あなたが自分の鏡に映し出しているものしか、あなたには見えません。同じ世の中に生きていても、人それぞれに世の中が違って見えるのは、実は世の中という鏡に映し出された自分の姿が違うのではなく、自分の鏡に映し出しているものが違っているということです。善きもの、美しきものが見たければ、まずは自分の鏡にそのようなものを映し出す選択をすればよいのです。