毎日●●する

「1年の計は元旦にあり」と言いますが、どういう意味なのでしょうか。元旦に良いことがあれば、元旦さえ頑張ることができれば、その年は良い年になる。このように、元旦という1日に1年の全てが集約されており、だから元旦という日をどう過ごすか(何が起こるのか)が極めて重要になると解釈されているはずです。それは正しくもあり、間違ってもいます。元旦という特別な日が1年の全てを決めるわけではなく、たとえ元旦であっても毎日の中の1日であり、その平凡な1日をどのように過ごすかが、1年という長いスパンで見ると、大きな意味を生むということだと思います。なんて難しく書きましたが、この年齢になって、ようやく私も日々の習慣の重要性に気づいたということです。

 

今までは、たとえば年末年始やお盆休みのたっぷりある時間で、本を読みたい、映画も観たい、まとまったあの仕事を終わらせたい、友だちに手紙を書きたいなど、あれこれ終わらせようと意気込んでみるも、結局のところ、どれもが中途半端に終わってしまうことの繰り返しでした。同じことは1年の計画を立てる時にも当てはまって、今年は新しい習いごとを始めたい、スポーツジムに通いたい、○○の仕事に取り組みたい、△△の資格を取りたいなど、大きな目標を決めてみても、結局のところ、大したことができず形にならないことが少なくありませんでした。

 

大きな目標を立てたり、やりたいことを書き出したりすることぐらい、誰でもできることなのです。気持ちが高ぶっているときは、その日ぐらいは行動に移せることもあるかもしれませんが、たった1日ではできることは限られています。大きなことこそ、小さなことや時間をコツコツと地味に積み重ねていって、はじめて成し終えることができるのです。私たちにとって大切なことは、大きな目標を立てることだけではなく、それを毎日の24時間の中の具体的な行動として落とし込み、忠実に実行することなのです。

 

 

キーワードは毎日です。私たちが毎日することの中からこそ、私たちの未来が生まれるのです。毎日していないことの中から、将来何か大きなことが起こることは決してありません。毎日何をしているかが、私たちを形づくる。ほとんど目に見えないものだからこそ、誰にも(もしかすると自分にさえも)気づかれることなく、静かに、ときとして残酷に人生を決めてしまうのです。毎日●●するのです。そこに例外はなく、たとえ元旦であっても同じ。元旦だからしないではなく、元旦でもすることが毎日することです。そういう意味において、1年の計は元旦にあり、もし自分の未来を変えていきたいのに元旦に何もしなかったという方は、今日から毎日●●しましょう!