「リメンバー・ミー」

今絶賛上映中のアニメ映画「リメンバーミー」を観てきました。ピクサーが制作した映画、たとえば「ファインディングニモ」や「モンスターズインク」、「トイストーリー」は大好きなアニメーション映画であり、「リメンバーミー」にも期待していました。今回の作品は人間が主人公ということで、これまでの作品とは少しだけ世界観が異なりましたが、アニメーションはより迫力や質感を高めていて、人の動きも実にリアルで実写版との境目がなくなりつつあります。もちろん、ストーリーも内容も面白く、人の記憶や死について考えさせられ、最後は心温まる結末になっています。12歳のミゲルが曾祖母のココに歌を歌って、記憶が蘇るシーンが美しいですね。

 

作品の中で描かれる死者の国においては、自分の生きていたときのことを覚えている人がいなくなってしまうと死んでしまいます。つまり、1度現世において肉体的に死に、死者の国においてもう1度死ぬということです。それは裏を返せば、肉体は死んだとしても、自分のことを覚えてくれている人がいれば、生き続けることができるということです。人びとの記憶の中に生き、(日本の風習でいえばお盆の時期などに)現世に戻ってくることもできるのです。誰の記憶の中にもいなくなってしまうことが最後の死であり、それぐらい私たちがその人のことを覚えているということは大切なのです。

 

私にも曾祖母の記憶はたくさんあります。物心ついたときには、ほぼ寝たきりの生活を送っていた曾祖母ですが、私が帰省するといつも喜んでくれました。真っ先に部屋に行くと、手を握り、(目が悪かったので)顔のかたちを手で触って確かめながら、「大きくなったなあ」と褒めてくれました。手を引いてダイニングに連れて行くときのゆったりとした歩みや寝ているときに足の指にティッシュペーパーをはさむいたずらをして怒られたこと、こっそりとお小遣いをもらって本を買いに行ったこと、100歳近くになってもふっくらとしたほっぺたなど、今でも大切な思い出として私の中にあります。ということは、私が死ぬまで、今も曾祖母は向こうの世界で生きているということですね。

 

 

私はいつまで生き続けることができるでしょうか。そんな疑問をふと抱きました。私は周りの人々の記憶に残るような生き方をしているのかということです。できれば良い記憶として残ってもらいたいと思いますが、そう簡単なことではありませんね。曾祖母の生き方を振り返ってみると、記憶に残しておいてもらえるためには、まずは他者としっかり向き合うことだと思います。自分と向き合うのと同じように他者とも向き合う。そして、喜怒哀楽の感情を共にすることです。喜びも怒りも哀しみも楽しみも、どのような感情であってもいいのです。その時の感情をきっかけとして、私たちは人や場所、情景などを記憶するのです。懐かしい思い出と共に、そんなことを考えさせてくれた映画でした。