なぜ介護の学校なのか?(前編)

「なぜ介護にまつわる仕事はたくさんあるのに、介護の学校を始めたのですか?」とスタッフの影山さんから聞かれました。振り返ってみると、僕が介護の学校に入ったのは、知り合いから誘われて、大手の介護スクールでアルバイトを始めたことがきっかけでした。最初は、大学で行う介護の講座を開催するたびに、ベッドや車いすなどの福祉用具をトラックに乗せて、搬入搬出する手伝いをしていました。そうこうしているうちに、介護スクールの人たちとも少し仲良くなり、ある日、「村山くん、うちで働かない?」と誘われました。当時、2年間ぐらい引きこもりのニート生活をしていたので、一度考えさせてもらうふりをして(笑)、二つ返事で「お願いします」と言ったのがこの世界への第一歩でした。

 

25歳でスタッフとして介護スクールに入るまでは、介護や福祉という業界があることすら知りませんでした。それでも、介護の世界が直感的に面白そうだと思ったのは、ひいばあちゃん(曾祖母)やおばあちゃん(祖母)のおかげです。小さい頃からひいばあちゃんとおばあちゃんには可愛がってもらっていたので、お年寄りに対して良いイメージしか持っていませんでした。たまたま介護の学校に入りましたが、もし施設などの介護の現場に最初に入っていたら、今ごろは介護福祉士を取って、自分で施設や事業所をつくっていたかもしれません。

 

実際に介護の学校で仕事をしてみると、先生たちは尊敬できる人たちばかりで、生徒さんたちも周りのスタッフの方々も優しくて、こういう人たちに囲まれて仕事ができるのは良いなと感じました。介護スクールの前後にも塾で働いたり、ブックオフやお歳暮の配達、引っ越し、駐車場の管理人などのアルバイトをやったこともあったのですが、素敵な人たちが集まって、学ぶことによって変わっていく介護の教育が、私にとっては最も面白いと感じられました。30歳になるまでのちょうど5年間、1ヶ月で500時間働くという、めちゃくちゃなハードワークをしながらも、充実した仕事人生を送りました。

 

ところが、やっていくうちに、もっとこうした方がいいのにとか、自分だったらこうするのにと思うようになり、また学校の規模が大きくなればなるほどに、人と資格を右から左へと流してお金を得るだけのビジネスに嫌気が差すようになりました。このようなことをしてお金を稼ぐだけの中身のない仕事に、自分の人生の時間を使って、この先も生きていくことがバカバカしく思えてきたのです。やるべきことは全てやり切りましたし、ちょうどその折に不正に巻き込まれたこともあり、一旦その介護スクールを離れました。

 

その後、好きな競馬の仕事に1年間ほどチャレンジしたのですがあまりうまく行かず、家族を養わなければいけないこともあり、子どもの教育をやってみようと塾に入りました。5年間、校長をしつつ自ら教えたりもして、それなりに楽しみつつ低空飛行をしていました。子どもの教育はゴールが受験の合格でしかないことと、生徒さんは自分でお金を払ってくるのではなく行かされて来ていることもあり、モチベーションが低く、介護・福祉教育ほど魅力を感じなかったのです。

 

自分が本気でできる仕事でかつ生活ができる仕事はないのかなあと悩み、半ばあきらめていたところ、当時の塾の代表かつ創業者から、新しい事業を提案してくれと言われて、介護の学校を提案しました。そのときまでは、まさか自分が再び介護の学校を手がけるとは思っていませんでした。いざ企画をつくっていると、だんだん当時の楽しさが蘇ってきて、やはり私は介護の学校が好きだったのだと思い、本気になっていったのです。

 

 

そのときに作った理念が、湘南ケアカレッジの原点となる「世界観が変わる福祉教育を」です。