生きるって?

先日、卒業生の訃報がFAXで届きました。ガンを患って入退院をしていたとは聞いていましたが、あまりの突然の知らせに驚きました。卒業後に彼女は介護の仕事にも就いて、病気と闘いながらも働き続けていたそうです。退院後すぐに、入浴の介助を1日中やっているという話を聞き、さすがだなあと思いました。とても大胆で細やかで親切な印象的な方でした。

 

彼女のことを思い出すと、机に指を挟まれて、「痛いっ!!」と叫ばれたシーンが浮かんできます。講義から演習に切り替わるとき、クラスメイト全員で机を片づけてベッド等を出してきます。その際、机をコンパクトにするために、レバーを握りながら水平だった机面を垂直にするのですが、タイミングが合わずに机とレバーの間に指を挟まれたみたいでした。それ以来、机を片づけるとき、私も含めて先生方は「指に気をつけてください!」と喚起するようになりました。

 

 

卒業生の訃報を知るのは、これで3人目となります。これだけたくさんの卒業生がいれば仕方ないことですが、やはり知っている人が亡くなるのは、家族とは言わないまでも親戚を失ってしまったときのような悲しさと寂しさがあります。そして、その度にいつも思うのは、こうして生きている以上は一生懸命に生きなければならない、生きたいということです。でも、一生懸命に生きるとはどういうことなのだろうか?どのようにすれば、一生懸命に生きることができるのか?生きるって、どういうことなのだろうか?そんな根源的な問いにも突き当たってしまうのです。

「生きるって、こういうことだと思う」

 

元フットボール選手がALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、身体が動かなくなってゆく過程において、親や家族との関わりの物語を描いた映画「ギフト」のDVDに、このようなポップを付けました。この映画を観たとき、ストレートにそう思ったのでした。ALSは自分の精神はクリアなまま、肉体は急速に動かなくなっていき、眼球しか動かせなくなり、最後は呼吸が停止してしまうという病気です。これまで出来ていたことができなくなり、言葉もうまく出せなくなり、他人の助けなしでは生きていけなくなる。まるで私たちには無縁の病気のように思えるかもしれませんが、実は私たちも遅かれ早かれ同じような過程を通ることになるのです。

 

ALSを患った人は、目に見える形で急速に運動機能を失っていくのに対し、私たちは実に緩慢に、時間をかけて、ゆっくりと肉体が衰えていきます。もう少し分かりやすく書くと、急激に死に向かっていくか、緩慢に死んでゆくかの違いです。そして見かたを変えると、その肉体の死への向かい方があまりにも劇的だからこそ、一生懸命に生きざるをえない。私たちはゆるやかに死んでゆくからこそ、のどかに生きることができるのです。

 

 

死と生はいつも隣り合わせ。大きく笑うこと。悲しいときには泣くこと。悔しいときは叫ぶこと。体を動かして遊ぶこと。思いっきり楽しむこと。苦しいことから逃げないこと。たとえ絶望しても白旗を揚げないこと。好きな人たちと一緒に過ごすこと。身体も気持ちも触れ合うこと。包み隠すことなく本音でぶつかること。ありがとうと感謝すること、などなど。劇的に生きている人々の姿勢から、私たちは一生懸命に生きるための何かを学ぶことができるのではないでしょうか。