「長いお別れ」

映画を観に行くと、予告編でまた別の映画のことを知り、また観に行ったその映画の予告編で…、と数珠つなぎになるのが映画ファンの喜びです。「長いお別れ」もそのようにして知った映画であり、つながって観て良かったと思える映画でした。原作は読んでいませんが、脚本のクオリティも高く、映像も美しく、役者さんたちの演技も素晴らしく、認知症をテーマにした作品としては、個人的には最高傑作なのではないかとさえ思います。所どころに介護の大変な現場や家族の苦しみも描かれてはいますが、全体的には認知症を柔らかく捉えていて、家族の気持ちに寄り添った映画でした。そう、これは認知症の映画ではなく、長いお別れの映画なのです。

 

ストーリーは、70歳の父の誕生日に帰省した2人娘たちが父の不審な言動に気づき、母から認知症であることを告げられるところから始まります。人生を前に進めていかなければと日々もがきながら生きている姉妹とは対照的に、父はゆっくりと記憶を失っていくのです。それどころか、父はできていたことができなくなり、今ではなく昔を生きるようになってゆきます。それでも、家族としてひとつになろうとする力が働き、父の記憶をたどることで、自分たちの思い出も鮮やかに蘇っていくのです。父が遊園地に3本の傘を持って、妻と娘たちを迎えにくるシーンは美しいです。

 

個人的に素敵だなと思ったのは、認知症が未知のものであったり、おどろおどろしいものとして描かれていないことです。山崎勉さんが演じる主人公の演技は迫真ですが、家族は認知症を自然な形で受け入れていきます。ひと昔前の映画やドラマであれば、認知症を描くときにもっと衝撃的な形を採ったはずですが、認知症が一般の人たちにも広まった今、マスメディアにおいても、よくある病気の症状として捉えなおされるべきなのです。つまり、認知症の父をリアルに描くのではなく、父が認知症になったことを通し、家族の人生や関係性が変化していくことを描くべきなのではないでしょうか。

 

 

笑いあり涙ありというフレーズは陳腐かもしれませんが、とても自然な形で笑いあり涙ありの映画でした。演出も自然で、演技も実に自然です。このように認知症に寄り添う家族の形があるはずですし、あってほしいと願うのです。最後に、演出としては孫の存在が生きていると思いました。人工呼吸器を着けるかどうか迷っているとき、「生きられるならば、生きていてほしい」という孫からのメッセージに家族は励まされ、また祖父とのやり取りにおいて、真っ直ぐ生きていこうという生のバトンを渡されます。認知症は長い時間をかけた引き継ぎであり、壮大な幕引きなのですね。