「Girl」

トランスジェンダーをテーマにした超真面目な映画ということで、観に行ってきました。介護とは関係ないじゃないかと思われるかもしれませんが、多様性やLGBTの問題は大きく捉えると福祉的な問題でもあります。また、卒業生さんたちの中にもトランスジェンダーの方はたくさんいて、介護の現場で働いていますので、どう考えても他人事ではないのです。そして、この映画を見て初めて、トランスジェンダーの心のあり方や身体性について知らされた気がしました。ただ受け入れるだけでは十分ではなく、もっと相手を知らなければ本当の理解には至らないのだと感じました。

 

主人公のララは16歳。何も知らない人が見れば、他を圧するような美貌を誇る少女なのですが、実はララは男性として生まれてきました。これだと余計に分かりにくいかもしれませんが、つまり身体は男性であり、心は女性なのです。小さい頃からのバレエダンサーになる夢をあきらめられず、血のにじむような練習に耐え、その一方では自身のこころとからだのギャップに悩み続けます。

 

こころは女性であるのに、毎日鏡に映る自分の肉体は男性のそれなのです。劇中にはバレエのつま先立ちのダンスシーンが多く使われており、外から見える美しさや華やかさの裏にある苦悶のシーンとして描かれているのは、ララがトランスジェンダーとして葛藤しながら生きている思春期の比喩なのでしょう。そこから衝撃のラストシーンに至るまでの急展開もまた、思春期の激しさを見事に表現していました。

 

映画の中で、ララが女性用のトイレを使うことに対して、先生がクラスメイトに目をつぶらせて挙手を求めるシーンがありました。「ララが女性用トイレを使うことが本当は嫌だと思っている人はいますか?」と、ララがいる中で、クラスメイトに対して問うたのです。誰も手を挙げる者はいませんでしたし、ずいぶんとデリカシーのない質問だなと思いましたが、先生は立場上、そこまで配慮しなければならないということなのでしょうか。ララを受け入れられるという人もいれば、受け入れられないという人もいて、どちらが正しい正しくないということではなく、それぞれの価値観に委ねられている問題なのです。

 

 

それでも私は受け入れる社会を望みます。感覚的に受け入れる・られないの判断をするのではなく、最初は自らの意思で受け入れようとすることが大切です。そのためには他者のことを知ることです。他者の苦悩のほんの一部でも知ろうとすることで、受け入れようという意思が生まれるはずです。受け入れることで、より他者のことを知ることができ、自分の受け入れの幅もさらに広がります。ひとり一人が受け入れの幅が広がった社会は、もし自分が受け入れてもらいたい立場になったときにも、生きやすいと思いませんか。