対人理解に尽きる

実務者研修の最終日には医療的ケアの授業があり、授業終了後には毎回、振り返りミーティングと称して先生方との打ち上げをします。もう38期生を迎えたというのに、今日の授業で良かったこと改善すべき点などを(お酒を飲みながら)話し合います。今回は、実務者研修というのは、生徒さんたちにとっての学びなおし(捉えなおし)の機会になるべきだという話題になりました。もう一度、介護や福祉について学びなおすためには、生徒さんにはそれぞれがどうなりたいのかを意識して真剣に取り組んでもらいたいですし、私たちは生徒さんたち一人ひとりと向き合って、その捉え方が大きく変わるように教えさせてもらわなければいけません。介護の先生方と医療の先生方が力を合わせて、同じテーマに向かって、より良い実務者研修をつくっていきたいと思います。

 

話は対人理解にも及びました。看護師の先生たちが、医療的ケアの授業を通して感じたことは、コミュニケーション能力こそが介護や医療といった対人援助職においては重要であり、つまりそれは対人理解なのだということです。コミュニケーションとは決して上手く楽しくお話しをすることではありません。相手が何を伝えたいのかを理解し、行動することであり、こちらの伝えたいことを伝え、行動してもらうことです。そして、相手が伝えたいことを理解するためには、相手のことを知ることが必要不可欠になってきます。

 

言葉で言うのは簡単ですが、ほんとうに私たちは相手のことを理解できているのでしょうか?ほんとうにあなたは相手や対象のことを理解できているか、と問われて、即座にYESと答えられる人は少ないはずです。どれだけ近しい人であっても、長く付き合っている人であっても、ほんとうに相手や対象のことを理解できていますかね。ということは、それほど身近にはいない人、たまにしか会わない人などはもちろん、あまり詳しく知らないことや会ったこともない人、実際に見たこともないことについて、私たちはどれだけ理解しているのでしょうか。そう考えると、対人理解という言葉が独り歩きしているケースが多いのかもしれません。

 

世の中の争いや諍い(いさかい)、憎しみ、怒り、嫌悪などは、ほとんどの場合、相手を良く知らないこと(無理解、誤解)から生まれている気がします。相手のことをほとんど知らないにもかかわらず、勝手に想像して悪く思ってしまうこともあれば、知らないからこそ恐れや妄想が広がって悪く思えてしまうこともあるはずです。私たちの周りで、誰かのことを悪く言っている(思っている)人たちのほとんどは、意外と相手のことを良く知らないでそうしてしまっています。良く見て、良く知ってさえいれば、たとえ自分とは考えやスタイルが違っていたとしても、許容できることが多いはずなのです。

 

我田引水かもしれませんが、湘南ケアカレッジの特徴のひとつとして、先生方がそれぞれの授業を見て、知っているという点があります。湘南ケアカレッジは、40名定員のクラス設定にしているため(最近は24名のクラスが多いのですが)、実技演習の授業は先生が3名態勢になります。ある授業ではメインをしつつ、ある授業ではサポートで入るという形になるため、互いの授業を実際に見て知っていることになります。

 

 

そうなると、それぞれの先生方の授業につながりが生まれるだけではなく、お互いにフィードバックすることができたり、何と言っても、互いに変な誤解をされずに済みます。だからこそ、私が大手の介護スクールにいたころに生徒さんから良く受けた、「先生たちの言っていることが違うから困っている」というクレームは湘南ケアカレッジでは一切ありません。また、それぞれが相手の授業を見て、自分の授業を見られているという形になるため、お互いの良いところも良くないところも知っているのです。だからこそ、余計な想像を膨らませて相手を悪く思うのではなく、自分の強みを生かして相手の弱みをフォローすることができるのです。相手のことを良く見て、良く知ることこそが、対人理解の第一歩なのではないでしょうか。