知らないからこそ、寄り添える。押しつけないからこそ、頼られる。

最後のケアカレナイトが行われました。昨年2月、藤田先生の「アンガーマネジメント講座」から始まり、乙武洋匡さんや吉藤オリイをはじめとしてたくさんのゲストスピーカーにも登場いただきながら、最後は奥玲子先生の「在宅で死ぬということ」で幕を閉じました。締めくくりに相応しい、笑いあり涙ありの心を動かされる講座でした。奥先生の話は流れるようにテンポが良く、死というテーマを扱っているにもかかわらず決して湿っぽくならない、爽やかな生きるエネルギーを感じさせてくれます。だからこそ、ターミナルケアの現場で頼りにされて、長きにわたって活躍できるのでしょう。その話す姿を見るだけで、ターミナルケアを支える私たちには何が求められているのか?が分かる気がしました。

 

在宅で死ぬことを考えたとき、本人だけではなく、多くの介護者は不安を感じると思います。苦痛を和らげることができるのか、末期は苦しんでしまうのではないか、家族の負担が大きくなるのではないだろうか、などなど。グループワークでもたくさんの不安が出てきました。だからこそ、ほとんどの人々は在宅で死にたいと願っていても、叶わないという現実があるのです。それに応じる形で、奥先生は在宅で死ぬメリットとデメリット、そして病院で死ぬメリットとデメリットを挙げて、それぞれの良さと足りなさを説明してくれました。

 

 

その上で、在宅で死ぬことにまつわる素晴らしいストーリーを実際の経験を元に語ってくれました。有名な大学に進学したにもかかわらずギター奏者になると言ったことに反対したことでわだかまりが生じてしまい、疎遠になってしまった孫のライブに最期に足を運んだ話、子どもたちが小さい頃によく遊んだ江の島の海に子どもたちと最期に行った話、最期に大好きなお風呂に入って亡くなった話、大好きな人の腕の中で死んだ友人の話、北島三郎を聴きながら死んだ方の話などなど、奥先生にしか話すことのできないリアルなターミナルケアの現場を教えてくれました。

 

また、落ち着いてお見送りをするためには、死の過程を知っておくことが大切だと奥先生は言います。たとえばがん患者さんが亡くなるまでは以下のような過程を経ます。最期に“息を引き取る”という表現がありますが、まさに息を吸って人は亡くなるそうです。生まれてきたときは「オギャー」と息を吐いて始まり、死ぬときは息を吸って旅立つのですね。

ターミナルケアを支える私たち(介護職)にできることとして、「知らないからこそ、寄り添える」、「押しつけないからこそ、頼られる」という2つの視点を教示してくれました。特に2つ目の視点は、打ち合わせの段階から興味深いと思っていました。ターミナルケアだからこそ何かをしてあげなければならないと思い、ともすると自分の考えや想いを押しつけてしまいがちになることもありますが、本人の意思や家族の気持ちを尊重し、そっとしておくことも大切なのです。それはドライということではなく、放っておくということでもない、必要なときだけ全力で支えるという距離感でしょうか。「知らないからこそ、寄り添える」、「押しつけないからこそ、頼られる」は、ターミナルケアにおいてだけではなく、介護職として仕事をする上での心構えと考えても良いでしょうし、もしかすると介護職としてだけではなく、人として生きる上で大切なことなのかもしれません。

 

 

最後に、ケアカレナイトの企画から準備、当日の司会進行まで、1年間務めあげてくれた影山さんにも拍手を。全てが初めての経験で大変だった思いますが、明るく元気に笑顔で頑張ってくれました。きっと新しい自分に気付けたと思います。生徒さんたちが来てくれて、先生が話してくれてこそ学校はあることを知れたと思いますし、そこに生まれる人と人とのつながりこそが私たちの喜びになることを感じてくれたはずです。

 

ケアカレナイトも最後ということで、卒業生さんからもお土産をいただきました。そのお心遣いが嬉しいです。ありがとうございます!