「ボクはやっと認知症のことがわかった」

認知症の診断をする「長谷川式スケール」を開発した長谷川医師が認知症になる。木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊になるという表現は相応しくないかもしれませんが、それこそが認知症の本質であり、誰しもが避けては通れない道なのです。かつて大学病院の先輩から、「あなた自身が同じ病気にならない限り、あなたの研究は本物じゃない、認めない」と言われたことがあり、それに対して長谷川氏は今なら「ボクも本物になりました」と言えますねと答えています。長谷川氏は認知症を研修してきた第一人者のひとりとして、また自ら認知症になった当事者のひとりとして、客観的かつ主観的に認知症について語っているのが本書の素晴らしさであり、稀有なところです。

 

長谷川氏は実際に認知症になってみて、感じていること、思っていることを素直に語ります。

 

認知症を公表してから2年が過ぎて、かなり症状が進んできているとの自覚はあります。ただ、人間は、生まれたときからずっと連続して生きているわけですから、認知症になったからといって、周囲が思うほど自分自身は変わっていないと思う部分もあります。そもそも認知症になったからといって、突然、人が変わるわけではありません。昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいます。

 

これはともすると抜けがちな視点です。もしかすると、長谷川氏でさえ自らが認知症になる前は認知症でない人と認知症の人の間に明確な境界線を引いていたのかもしれません。そうではなく、全くいやほとんど同じ人間なのです。認知症になる前となった後はつながっているのです。それまでの人生とこれからの人生は地続きなのです。

 

実際に自分が認知症になってみて実感したことは、認知症は、いったんなったら固定したもののように思われがちですが、そうではないということです。たとえば、ボクの場合、朝起きたときは調子がよいのだけれど、だんだん疲れてきて、夕方になると混乱がひどくなる。でも、ひと晩眠るとすっきりして、またフレッシュな新しい自分が蘇ります。つまり、そのときどきの身体や心の具合によって、認知症は良くも悪くもなる。だから、「一度なってしまったらおしまい」とか、「何もわからない人になった」などと思わないでほしい、特別扱いしないでいただきたいと思います。

 

長谷川氏の場合は、朝は調子が良くて、夕方になって次第に疲れてくると悪くなる。それからひと晩眠るとリセットされるというように日内変動があり、決して固定された状態ではないということです。つまり、認知症になったからといって、それまでと違う人になるわけではなく、固定された状態になるわけでもない。それまでと同じ自分の人生が続き、そして良くなるときも悪くなるときもあるということです。

 

 

本書で語られていることは、少し認知症を学んだ人にとっては当たり前のことかもしれませんが、実際に認知症になった長谷川先生が言うと説得力がありますね。同じことでも誰が言うかが重要ですが、さらにどのような状況にある誰が言うかはさらに重要です。認知症研修の第一人者が自らの人生を使って導き出した認知症のすべてを、ぜひ読んで知ってください。そこにはまだ私たちが見ぬ、けれどもいつかは見ることになる世界が広がっているはずです。