不要不急って?

6月短期クラスには、音楽家が2人いました。ひとりはオーケストラなどでコントラバスを演奏している方、もう一人はバンドでギターを弾いている方。かつても歌手や楽器演奏など音楽をやっている生徒さんはたくさんいましたが、1クラスに2人も音楽活動を生業としている方が参加したことは初めてかもしれません。

 

コントラバスの生徒さんは、かつて高齢者施設でもボランティアとして演奏をしたことがあり、それもあって今のタイミングで介護について学んでみようと思ったそうです。自身が奏者として参加されたオーケストラのCDをいただき、拝聴してみたところ、とても心落ち着くものでした。私はクラシックには全く通じていませんが、自宅でBGMとして繰り返し聴きながら仕事をしています。ギターの生徒さんはSpotify(音楽アプリ)にも曲が入っているロックバンドで、こちらも聴いてみたところ、新しいタイプの音楽で演奏の完成度も高くて驚きました。

 

今、新型コロナウイルス禍の中にあって、音楽家だけではなく、役者さんや芸能人、モデルさんなどのアーティストからスポーツ選手に至るまで、私たちの生活を彩る仕事をしていた人々の活躍の場が脅かされています。飲食業や宿泊業などに比べても、いわゆる不要不急の度合いは高いため、最も長い期間にわたって影響を受ける業界や職種のひとつではないでしょうか。自分がもしそうした仕事をしていたらと想像するだけで、複雑な思いになりますし、背筋が凍るような気がします。緊急事態宣言中は、医療関係者やスーパーやコンビニで働く人たち、ごみ回収業者の人たちなど、いわゆる不要不急ではない仕事をするエッセンシャルワーカーがもてはやされましたが、まるで光と影のように、アーティストやスポーツ選手は不遇を強いられようとしています。

 

コロナウイルスの全貌が少しずつ見え始めてきて、日本における状況もはっきりとしてきた今、それでもなおイベントの開催を抑止する力が働いていることが不思議です。アメリカやブラジルやインドの感染拡大国でのイベントではなく、日本国内であれば、開催したい人は開催して、参加したい人が参加すれば良いのです。周りの人たちへの影響を考えろという声も出てくると思いますが、それを言い出したら、これからも金輪際イベントは開催できませんし、これまでも本当はすべきではなかったはずです。誰を何から守っているのか分かりませんが、不要不急こそが人間らしさの象徴であり、できる限り早く取り戻していくべきものだと思います。そして同時に、不要不急を決めつけて、それを避けるように人間の行動や移動の自由を制限するのもやめましょう。たとえ医療関係者や介護福祉関係者であっても、彼ら彼女たちはその前に人間です。不要不急でないものも重要ですが、同時に不要不急こそ私たちが生きていく上で大切なものです。

 

それは若者であっても、高齢者でも障害のある方でも同じですね。不要不急なものを奪っていくと、その行き着く先は、施設に閉じ込められ、車椅子に座らされ、経管栄養につながれ、移動や行動の自由を奪われて生かされる日常です。それは私たちの未来でもあるのです。アーティストやスポーツ選手は、なんとか生き延びて、不遇の時代を自身の力に変えて、これまでよりもさらに高い文化や熱狂を生む活動をしてくれるはずと信じていますが、まずは私たちが不要不急の先にはそこで生きている人たちがいること、そしてゼロリスクを求めて不要不急を排除していくと、未来の自分の首を締めてしまうことにつながることに気づいてもらいたいと願います。