夏の読書感想文

今年の夏は、田舎に帰省することなく、いつもとは違った夏休みをすごしました。物心ついた頃から、お盆と正月には帰省していましたので、何とも不思議な気分です。どれだけ交通の便が良くなったとはいえ、岡山の津山に行って帰るには丸2日ぐらいはかかってしまいますし、向こうに行ったら行ったで妹の子どもたち3人が舌なめずりをして待ち構えていたりして(笑)、なかなか本を読む時間も取れなかったりします。たくさん本を読もうと仕込んで行っても、結局いつも1冊読めるか読めないか。あえて今年の夏の良かった点を挙げるとすれば、ゆっくりと本が読めたということぐらいでしょうか。介護とは違う分野の読書感想文として何か1冊、ブログに書こうと思っていましたが、せっかくなので全てを紹介したいと思います。

 

岡本太郎さんによる「自分の中に孤独を抱け」です。シリーズ前作となる「自分の中に毒を持て」は岡本太郎節が爆発している傑作であり、冒頭に書かれている『人生は積み重ねだと誰もが思っているようだ。僕は逆に、積み減らすべきだと思う』という一節に、若かりし頃、頭を殴られたような衝撃を受けたことを覚えています。岡本太郎さんがここ言わんとしていることは、今になってようやく分かってきた気がします。私の今までの短い人生経験を振り返ってみても、やはり最も生きる情熱やエネルギーがグッと湧いてきたのは、何もないゼロの状態から何かに挑戦して、ときには孤独になったり、現実にはねかえされたりして闘って、世の中が動いたときだと思います。己を捨てて孤独になって闘え、それこそが一瞬を生きることだ、挑みをやめた瞬間から老人になる、という岡本太郎節はこの本書にも通じています。今はこういう思想は流行らないのかもしれませんが、私は共感しかありません。いつだって人生ドキドキハラハラしている方が面白いですから。それから、本書の中にある、人間は氷河期に樹に上りそこなって猿になれなかった、というたえと話は絶妙です。まるで自分のことのように思えてなりませんでした。

 

茂木健一郎さんによる「クオリアと人工意識」は難解な本でした。実は私は茂木健一郎さんが有名になる前からのファンで、彼が東京芸大で教えている頃、もぐりの学生として授業を聴講しに行っていたぐらいです。その頃に著された「脳と創造性」という本は名著です。いつかケアカレナイトにお呼びしようと思っていましたが、今の状況では叶わぬ夢となりそうですね。その茂木先生が16年ぶりに自分で書いた本ということで(有名になってからライターさんが書いていた間の本はあまり面白くありません)、読んでみました。ちなみに、クオリアとは主観的な感覚のことで、たとえば赤い色の赤さがクオリアです。茂木さんは本書の中で、人工知能(AI)について踏み込んで考えていて、0と1からなる人工知能が人間を超えて発達していく中で、クオリアや人工意識のようなものを獲得できるのか(獲得できたように見えるようになるのか)という問いを論じています。私はこの本を読みながら、田舎に帰る途中、在来線の窓際に座り、目の前の小さなテーブルにはお茶が置いてあって、外には田畑が果てしなく広がっている風景をふと想像してしまいました。この感覚もクオリアなのですね。そう考えると、人工知能がどれだけ発達しても、獲得できたように見えるようにはなっても、実質的にクオリアや人工意識を獲得するのは難しいと思うに至りました。この本は、何回か読み返さなければ理解が深まらないタイプの本ですね。

 

「感染症利権」は、今の時代をより深く理解するために読んでみました。日本における検疫や公衆衛生の歴史、後藤新平や北里柴三郎といった人物らによる学閥、そしてペストやコレラといった感染症の大流行を知れたことは良かったのですが、どうしても著者は現安倍政権に対する偏見を持って今回のコロナ騒動も捉えているため、偏った面しか見えていないと思えてなりませんでした。今回のコロナ騒動がややこしいのは、こうした反安倍派の人たちが政権批判のために利用しようとしたり、メディアが公正な情報を伝えず視聴率を追い求めたり、専門医たちの利権や学閥、変なプライドために持説を展開したことで、科学や事実がずいぶんとねじ曲げられてしまっている中での民衆のパニックなので、もはや議論にならないのです。本書における、七三一部隊が行った人体感染実験の凄惨さ、結核やハンセン病患者たちの闘いの描写は見事で、医師たちは「命令」、「探求競争」、「利権」で動くという洞察も素晴らしいのですが、コロナ禍の現状認識がずれてしまっていることが分かってしまうと、読者としては白けてしまいます。

 

小林よりのりさんの「戦争論」はキンドルで読みました。広島・長崎への原爆投下や終戦記念日など、この時期は戦争について考えないわけにはいきませんね。小林よしのりさんは、日本人にとっての戦争というものを、誰よりも分かりやすく、正確に正しく伝えている思想家のひとりだと私は思います。教科書に載っているような歴史上の事実とされていることでさえ、目を逸らさずまっすぐに見ることで、これほどまでに解釈が違ってくることを教えてくれるのです。たとえば特攻隊を、英雄だと祭り上げられて無駄死にした若者たちと捉えるか、誤った道に進んでしまった民衆を救おうと己の命を賭けて戦争を終わらせようとした若者と考えるか。慰安婦問題や日本軍による大虐殺など、知らなければ済む話ですし、私も今まで歴史には興味がなかったのですが、今の日本を見るとなぜ戦争が2度も起こってしまったのか少し分かる気がするのです。小林よしのりさんのコロナ禍に対する評論も実に鋭く(「コロナ論」が近日発売されます)、それは彼が膨大な資料の山の中からみつけた事実を元に自分の頭で歴史を考えてきたからこそ、何が正しくて、何が愚劣かを見極めることができるからだと思います。