福祉のこころ

平塚市のみずほ小学校にて、福祉のこころや障害について、小野寺先生がお話しさせていただきました。総合学習の時間の中で、高齢者や障害のある方などを幅広く知り、福祉って何だろうと考えるきっかけをつくりたいと、小学校の先生である私の友人から依頼をいただきました。対象は小学校3年生120名とのことで、なんと体育館での授業というか講演になりました。わずか45分間でしたが、正直に言うと、小学生の頃からこのような授業を聞くことができて、彼ら彼女たちは幸せだなと思いました。今日の小野寺先生の話が、記憶のどこかに残って、たとえ僅かだとしても、子どもたちの未来に何らかの影響を与えることを願っています。

 

小野寺先生ははじめに、ちょうど小学校3年生のときにストーブを蹴飛ばして、やかんに入っていた熱湯がかかってしまい、やけどをした話をしてくれました。その当時は、やけどの跡を見られるのが嫌で仕方なかったそうです。夏でも長袖のTシャツを着たりして隠していたそうです。それは人と違っていることを周りのクラスメイトたちに言われることが嫌だったということですね。僕も小さい頃、アトピー性皮膚炎がひどかったので、その気持ちは良く分かります。小野寺先生が子どもたち全員の間を、腕にあるやけどの跡を見せて回ると、「おおっー」という声が上がりました。そして、「今こうして皆さんの前でこのやけどの話ができているのだから、やけどを負ったことは決して不幸ではないんだよ」と伝えます。障害があることは不便ではあるけれど、不幸ではないということです。

 

2人1組のペアになってもらい、ひとりが目をつぶり、もうひとりが相手の手を上から持ち上げたり、下から支えるようにして上げたり、優しく触ったり、肩をポンと叩いてみたりを交互に体験してもらいました。腕を上から掴まれて持ち上げられるよりも、下からそっと支えられるようにして上げられる方が優しい感じがした。そんな感想が続々と出てきます。相手の手を上に移動させるという、実質的には同じ物理行為であっても、相手が感じる気持ちは全く違うのです。こちらの意図に忖度しているわけではなく、子どもたちは自分の感覚や感情に正直なのでしょう。その感覚や感情をからだの記憶として覚えていて、それが福祉であるといつか結びついてくれるといいですね。

 

 

福祉というのは、幸せのこと。国語辞典にもそう書いてあるし、誰かが幸せになったらそれが福祉であり、誰かを幸せにして自分も嬉しかったらそれが福祉。そう考えると、福祉って難しいことではないのかもしれません。