「ファーザー」

認知症になった頑固な父親と優しい娘の絆を描いた、心温まるヒューマン映画かと思いきや、全く違いました。しかも映画の序盤は介護者である娘(アン)の目線から見ていると、いつの間にか認知症の父(アンソニー)の視点に切り替わり、主観と客観の入れ替わりが起こるところが斬新です。そう、この映画は認知症の当事者を追体験する、恐怖のホラー映画なのです。VRで認知症の方の見え方を体験するのとはまた違い、自分の人生が乗っ取られていくような焦燥感や恐ろしさをストーリーとして体験できるのです。認知症の方の気持ちを理解したいと思う介護者の方は、ぜひ劇場でご覧ください。もちろん映画作品としての完成度も高く、音楽や映像、特にアンソニー・ホプキンスの迫真の演技は素晴らしいです。

 

この映画の中で面白いのは、時間軸がずれていくことです。過去と未来が逆に現れたり、未来から過去へと時間が流れたり、ときには何度も同じ出来事が起こったりする映画は、たとえば「メメント」や「TENET」、「メッセージ」など、これまでもいくつもありました。過去から現在、そして未来へと時間軸が狂うことで、私たちは不思議な感覚に陥りますし、そんなことが続くと、今自分がどこにいるのか分からなくなります。曜日感覚がなくなるという次元の話ではなく、自分の足場が失われ、どこに立っているのか分からなくなるような気持ち。自分が果たして誰なのか分からなくなるのです。それほどに私たちは、過去から現在、未来へ続く一本の上を歩いていることで安心できるのでしょう。

 

もうひとつ、事実と虚実が混ざって現れることで、どれが本当で、何が嘘なのか、誰が本当のことを言っているのか、見分けがつかなくなるという恐怖に襲われます。これは時間軸がずれるよりも恐ろしいかもしれません。あの人が言っていることと、この人が言っていることが正反対であったり、同じ人が時として違ったことを言ったりします。昨日はこう言ったけど、今日は全く違うことを言っている人が入れ替わり現れると、誰を信頼して良いのか分からなくなる。最も信頼すべき娘さえも、言っていることに一貫性がなく、時として理不尽な行動をしたりする。自分にとっての経験は絶対的である以上、事実と虚実が分からなくなることで私たちは混乱し、最後には自ら狂っていくのです。

 

 

アンソニーがこだわっているものが2つありました。ひとつは腕時計、もうひとつは自分の家です。そのせいで腕時計を盗まれたり、娘に自宅を乗っ取られるという妄想に取りつかれてしまいます。客観的に見るとおかしな行動も、腕時計は時間を表し、自宅は自分の居場所だと考えるとアンソニーのこだわりの意味が見えてきます。過去から現在、未来へとつながる一本の線から足を踏み外しそうになっているアンソニーにとって、今、何月何日の何時かを自分の目で確認することのできる腕時計は安心材料になります。また、何としてでも自分の居場所だけは守ろうとするのは、あらゆるものを奪われていると感じている人間の本能なのでしょう。結局、最後は老人ホームに入り、腕時計もしていないアンソニーの姿が映し出されたところで映画は終わります。私たちは、人生の最後には、時間も居場所も失ってしまうのでしょうか。