「笑顔で生きる」

丹野さんのことを知ったのは、町田の桜美林大学で行われた認知症のイベントにて、彼の講演を聴いたことがきっかけでした。爽やかというのが第一印象であり、実に理路整然と話す内容に驚かされ、他の当事者とのグループワークを仕切っている姿を見て、「認知症の人らしくない」と素直に思いました。それは偏見ということではなく、丹野さんは認知症の中でも若年性認知症の初期であり、認知症の症状にも幅があるということです。全ての認知症の人が、私の母方の祖母のように、孫のことさえ忘れてしまうわけではありません。そんなことよりも、丹野さんを見ていても、祖母を見ていても、たとえ認知症になっても、その人らしさはいつまでも残ると私は思います。

今から25年以上前、私は父方の祖母のお見舞いに老人ホームを訪れました。学生だった私は、介護のことや認知症のことなど全く知らない、白紙の状態でした。父方の祖母が暮らす老人ホームにいる他のお年寄りを見て、私は衝撃を受けたのです。なぜか分からないのですが怒鳴り散らしている方もいれば、身体を小刻みに揺らしながら落ち着かない方、ピクリとも動くことなく座ったままの方、いつもニコニコ笑顔で手を振ってくれる方など、あまりにも一人ひとりの姿が違っていたのです。同じような高齢で、同じ場所にいるにもかかわらず、まるで違う人間性が見えました。あのとき私は、自分が高齢になってこうして過ごさなければならなくなったとき、できれば笑顔で穏やかに生きたいなと素直に思ったのです。

 

本書には、丹野さんが認知症になる前のことも多く描かれていて、明るくて真面目、几帳面なところがあり、仕事熱心で人間が好きな性格は変わらないことが分かります。私が町田の講演会で見た丹野さんの姿そのものでした。つまり、丹野さんは認知症になる前もなってからも、何も変わっていないということになります。少なくとも私にはそう見えました。

 

変わった点としては、記憶の引き出しが失われてしまったことぐらいでしょうか。もちろんそれは本人にとって大きな負担や不安になりますから、当事者の内面における変化は大きいのだと思います。丹野さんのように、今までと同じように仕事をしたり、さらに積極的に講演活動をしたりと社会参加をする中で普通を演じるためには、私たちには想像できないような努力があるのも確かですね。

 

 

私の祖母も最後まで穏やかに笑顔で生きていました。自分の娘以外の人間の呼びかけにはあまり反応しなくなってしまいましたが、それでも「ありがとさん」と口ぐせのように言い、静かに亡くなっていきました。おばあちゃんらしいなと、いつも思っていたものです。認知症らしいからしくなかったかは分かりませんが、祖母らしかったのはたしかです。私たちはいつまでも私たちらしくしか生きられないのであって、最期まで周りの人たちと助け合いながら笑顔で生きていたいと願います。