10年ひと昔

10年ひと昔と言われたものですが、湘南ケアカレッジも来年であっという間に10年目を迎えます。先日、「パンフレット(コンセプトブック)を見ましたけど、村山さんの写真、かなり前のものでしょ?老けましたね!」と明るく言われました(笑)。よく考えてみると、たしかにプロフィールで使っているあの写真は10年以上前に知人のカメラマンに撮ってもらったものでした。自分ではそれほど変わっていないつもりでも、10年も経つとその分老いるのだなあと素直に思ったものです。パンフレットに載っている先生方の写真も、僕としてはあまり変わっていない気がしますが、生徒さんたちにとっては10年前の写真に映るのでしょうかね。

10年経つと、外見だけではなく、周りの人たちの状況も大きく変わっていることに驚かされます。つい最近、介護職員初任者研修を受けていた生徒さんが、介護福祉士の筆記試験対策講座に来ていることにも軽い驚きを感じますし、この前、突然訪ねてきてくれた生徒さんは6年前のクリスマスの頃の生徒さんでした。彼のクラスは打ち上げに参加させてもらった記憶があり、その時に話したこともしっかりと覚えているのですが、まさか6年前とは…。さらに驚くべきは、生徒さん同士が結婚して、お子さんが生まれていることです。

 

湘南ケアカレッジも10周年を迎えて、創立した頃から比べると、大きく成長しているはずです。何よりも、この情熱と中身の濃さで10年続けてきた実績と信頼(安っぽい広告文みたいですね笑)がありますし、もはや「新しい学校です」とは言えないと思っています。祐子先生もおっしゃっていましたが、「老舗」と言っても過言ではないのではないでしょうか。ケアカレは100年続く学校を目指しているので、10年はまだ序の口に過ぎませんが、周りから見ると老舗の域に近づいているということです。ここまでやって来られたのは、先生方のおかげであり、これから先も、先生方と一緒に、湘南ケアカレッジのファンを増やしていきたいと思っています。

 

 

話はだいぶ飛びますが、僕は最近になってようやく「Netflix(ネットフリックス)」に加入し、海外のドラマを観ることにハマっています。今まで観た中で最も面白かったのは、「プリズンブレイク」という脱獄のドラマです。兄の無罪を晴らすため、弟が自ら刑務所に入り、明晰な頭脳を駆使し、周りの人たちを巻き込みながら脱獄するというストーリー。ネットフリックスのドラマは、1話ごとの終わり方が秀逸で、次の話を観たくて仕方なくなるような場面で切ってくるのです。続きが気になって観続けていると、あっという間にシーズン5まで観終わってしまいました。一度、見始めると最後まで止められないドラマでした。

「プリズンブレイク」の登場人物の中に、ベリックという刑務所の所長がいます。彼は最前線で囚人たちと対峙しており、まあ嫌な奴なんです。脱獄を妨害するだけではなく、脱獄してからの外の世界でも追ってきて、とにかく邪魔をするしつこいキャラクターです。話の展開の中で、ベリックとはくっついたり、裏切ったりを繰り返し、足手まといながらも次第に仲間になっていきます。

 

そして、ここからはネタバレになってしまいますが、最後にはベリックは仲間を助けるために自らが犠牲になる道を選びます。その状況をうまく説明するのは難しいのですが、誰かがパイプを通さないと向こうに渡れない状況になり、パイプを通すためには誰かが水道管の中に入らなければならなかったのです。まさかあのベリックがと僕は驚いたのですが、彼は自ら進んで手を挙げて、水道管の中に入り、パイプを通し、自身は溺死してしまう道を選んだのです。自らの命を使って、あれだけいがみ合っていた仲間を救ったのです。このとき、あれだけ嫌な奴だったベリックが、僕の中で最高のキャラクターに変わりました。

 

このシーンが最も印象に残っているのは、ベリックが命の使い方を表現してくれたからだと思います。ベリックは実はマザコンで、刑務所の所長を早めに引退して、お母さんとのんびり過ごすのが夢でした。そのためには不正に目をつぶり、小悪を犯してもやむを得ないと考えていたような人物が、自らの命を捨ててまでも仲間を救ったのです。どのような心境の変化があったのか分かりませんが、ベリックの人生を見て、その人の価値は命の使い方にあるのではと思ったのです。

 

 

人間にとっての命とは時間のことでもあり、命の使い方とは、時間の使い方と言い換えることもできます。ベリックはのんびり過ごす予定だった人生の残りの時間を、仲間を救うことと引き換えたということになります。おそらくベリックがあのまま長生きして、たとえいい奴で終わったとしても、彼のキャラクターや人生はそれほど輝かなかったはずです。彼は命の使い方を変えたことで、それまでの姑息な生き方を帳消しにして、大逆転に成功したのです。

命の使い方という表現は、一昨年、ケアカレナイトにゲストスピーカーとして来てくれた松山博さんの言葉でもあります。松山さんは当時71歳、元小学校の教員です。ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症して11年目、胃ろうと気管切開をして呼吸器を装着して4年目。ALSの進行に合わせて、どのような思いで、どのような選択をしてきたかについて語ってくれました。その中で、「どのような看護・介護を受けるか、在宅支援の有りようで当事者の生きる姿が変わります」とおっしゃり、「命を使って何ができるか」と今は考えるに至られたと話されていたことが印象的でした。松山さんがケアカレナイトに来てくれたのも、命を使って何ができるのかという行動の一環だったのだと思います。

 

 

湘南ケアカレッジを先生方と創立したときは、私は30代後半ぐらいでした。あれから10年の歳月が経ち、命の使い方について考えるようになるとは思いもしませんでした(笑)。最近は命を守るとか、命の大切さばかりが強調される世の中ですが、ベリックや松山さんの生き方を見るにつけ、むしろ命の使い方を考えることの方が大切なのではないかと思うのです。それは命を粗末に扱うということではなく、命の使い方、つまり生き方の問題です。自分のために使うのも良いのですが、誰かのために、未来を担う子どもたちのために、何かを成し遂げるために、命を使って何ができるのかと考えながら生きていきたいと思います。