思いやりのススメ

最近、良い映画はネットフリックスの中にあって、映画館ではほとんど公開されなくなってしまいました。映画好きの私としては、映画館に行って映画を観たいというのが本音ですが、時代の流れには抗えませんね。映画「思いやりのススメ」もネットフリックスで観ました。原題は「FUNDAMENTALS OF CARING」なので、直訳すると「介護(ケア)の基本」。さすがに硬すぎるタイトルだと思って変更したのでしょうが、それにしても「思いやりのススメ」はないなあと思いました。内容を観た上では、「アロハ(ALOHA)」の方が良いのではないかと思います。ALOHAとは、映画の冒頭に登場するアメリカの介護の学校で教えられる概念。介護者として長く続けていきたいならば大事にすべき「Ask(尋ねる)、Listen(聴く)、Observe(観察する)、Help(助ける)、Ask again(再び尋ねる)」の頭文字を取ったものです。

アメリカではどこの学校でもALOHAと教えられているのか分かりませんが、とても分かりやすくて本質的だと思いました。まずは相手に尋ねるところから始まり、相手のことを聞き、相手を観察し、それから助ける。助けることが前提にあると、どうしても私たちの思い込みや押し付けが先行してしまって、勝手な介護に陥ってしまうということです。介護者の自己本位な介護ではなく、介護される側が何を求めているのかを知るところから全ては始まる。「Ask(尋ねる)」→「Listen(聴く)」→「Observe(観察する)」→「Help(助ける)」のサイクルを回したら、「Ask again(再び尋ねる)」に戻ってまた始めるのです。

 

 

ピンときた先生もいらっしゃると思いますが、ケアカレの提唱する「出来ていること、出来ていないことを見分ける→出来ていることを褒める・認める→出来ていないことを教え、やってみせる→やってもらう→褒める・認める」というサイクルと近い発想ですね。出来ていないことを教えるだけでは、相手のニーズに応えられないということです。

この映画の伝えたかったことは、ALOHAのサイクルはあくまでも心構えであって、最も大切なのは介護される側とする側の人間関係だということはないでしょうか。分かりやすく言ってしまうと、介護する側とされる側が対等(フラット)な関係でなければならないということ。主人公のトレバーは筋ジストロフィーを患っていて、新しい介護士を探す中、面接に現れた元小説家であり新米介護士のベンに対して、こんな質問をします。

これに対して、ベンは一瞬ためらった後、トレバーの目を真っすぐに見ながらこう答えました。

お互いの間にしばらくの沈黙が流れたあと、トレバーは「合格」と言って立ち去りました。トレバーはベンならば対等(フラット)な関係を築けると感じたのでしょう。可哀そうだから介護をしてあげるという上からでもなく、仕事としてだからお客様は神様的に奉仕する下からでもなく、介護される側もする側も対等(フラット)な関係でいたいというのが切なる願いだったのです。

 

トレバーの見込みどおり、端からみるとかなり乱暴なやり取りもあったとしても、ときには友人として、ときには父と子のように、人が人として認め合う対等(フラット)な関係をふたりは築いていきます。これまでは家から一歩も外に出なかったトレバーを旅に連れ出し、その道中で新たな出会いも生まれ、カーチェイスも銃撃戦もドラッグも出てこないのですが、地味ながらも心の交流が楽しめる映画でした。

 

対等(フラット)な関係を築くことは、案外難しいものです。私たちは社会的な動物ですから、どうしても自分と相手の位置づけや年齢、経歴、性別、外見、国籍などを踏まえて、自分の役割を演じてしまいがちです。そこに偏見や無知などが加わると、変に上から目線になったり、変に卑屈になったりと、どうしても相手と対等(フラット)な関係を築くのが難しくなってしまいます。とはいっても相手のことを知らずに関係性を築くのは難しい以上、どうすれば対等(フラット)な関係を築けるかというと、友だちになろうとすることだと私は思います。それは馴れ馴れしくするとか、タメ語で話すとかそういうことではなく、心を開いて仲良くなろうとすることです。そう考えると、意外に簡単なことに思えてきませんか。

 

 

対等(フラット)な関係を築くことは、介護する側とされる側の間の問題だけではなく、これからはどのような人間関係においても必要とされてくるのではないかと私は思います。もちろん、介護の学校でも同じです。先生と生徒さんという、教える側と教えられる側の間にも対等(フラット)な関係を築く必要があります。少し昔までは、先生と生徒という明確な立場の違いが成立していましたが、知識や情報などは溢れている今はそういう時代ではなくなってきました。結局のところ、関係性が対等(フラット)でなければ、伝わるものも正しく伝わりませんし、間違って伝わってしまうものです。何をどう教えるかよりも、まずは相手と対等(フラット)な関係をどのように築いていけるかの方が、私たち教える側にとっても大きな意味と価値を持つのです。いつも生徒さんたちと対等(フラット)な関係を築いてくださっている先生方に感謝します。