優しさは選択できる

昨年の12月からスタートした日曜日クラスの生徒さんたちが修了しました。最初は物静かなクラスだと思っていましたが、およそ4カ月間じっくりと時間をかけて仲良くなって、最後はほぼ全員が打ち上げに参加するまでになりました。私も打ち上げに顔を出させてもらい、皆さまと話してみて、優しい人たちの集まりだったのだなと感じました。来月から新しい年度が始まりますので、それぞれが新しい道に進みながらも、ときにはケアカレで学んだことや楽しかったことを思い出してくれたら幸いです。

 

介護職員初任者研修は、最終日に筆記のテストがあります。そして、テストを受け終わった後、希望の方は採点結果(テストの合否)をお知らせすることができます。ほとんどの生徒さんは結果を聞いて帰りたいと希望されるので、研修終了後に少し待っていただき、お一人ひとりを教室の後ろにお呼びして合否をお伝えすることになります。合格だと分かると本人も喜んでくれるので、結果が他の生徒さんたちにもなんとなく伝わります。

 

そのとき、クラスによって少しずつ反応が違って面白いです。「良かったねー!」「おめでとう!」と声を掛け合うクラスや拍手をして出迎えるクラス、あまり騒いではいけないと思うのか比較的静かに待っているクラスなど様々です。自分のことを心配しながらも、他者の合格も一緒になって喜べることは素晴らしいと思います。クラス全員で一緒に合格しようという関係性になっているということでもあります。

 

ところが、ときとして問題が生じることがあります。それは万が一、合格ラインに達しなかった生徒さんがいた場合にどうするかということです。学校としては、その場で不合格を言い渡すのは心苦しいのですが、本人が希望されたことですから仕方ありません。もう一度勉強して、すぐに再テストを受けに来てくだされば、次は間違いなく合格するのですが。もし誰かが不合格だった場合、本人はチーンとなってしまいますし、周りもシーンとなってしまうのが普通です。

 

実は、今回もひとり、外国人の方がわずかに点数が及ばず、再テストになってしまいました。そのとき、今回のクラスはそれでも拍手をして迎えてあげたのです。とても珍しい光景でした。「頑張ったね」と声をかけている生徒さんもいました。それで良いと思うのです。外国の言語で授業を受け、一緒に学び、テストに臨んで1回で合格ラインに近づくだけでも本来はすごいことです。合否はたまたま線を引いたものであって、本人の頑張りは十分に称賛に値します。彼は打ち上げにも参加して、楽しんでいて安心しました。

 

 

優しさとはそういうことだと私は思います。難しく言うと、世間で決められている成否(良い悪い)というラインに縛られることなく、多様性を認めつつ、相手の立場に立って考えて行動できることです。真面目で潔癖で、こうあるべきという想いの強い人がときとして他者に対して優しくないのは、他者への寛容さを失ってしまうからです。

 

たとえば、ハンセン(らい)病の人たちを家族から引き離して、消毒し、隔離したのは真面目で潔癖な人たちでした。今となっては、らい菌の人から人への感染性は皆無に等しいことが分かっています(栄養状態の悪さが主たる原因となって発症する病気です)。話がずいぶん逸れてしまいましたが(笑)、つまり、ほんとうに優しくあるためには、周りの空気に飲まれることなく、こうだと決めつけすぎず、思考が柔軟であり、また勇気がなければいけません。優しさは自ら選択することができるのです。そんな優しさを失わずに、卒業生の皆さまにはこれからも頑張ってもらいたいと心から願います。