9月21日は認知症の日でした。「世界アルツハイマーデー」とも呼ばれているそうです。認知症に関する理解を深め、患者やその家族に対する援助や希望を提供するために設立された国際的な1日です。さっそく私も、介護職員初任者研修の説明会にて、今日が認知症の日であることを伝え、その後、認知症に関する映画「エターナルメモリー」を吉祥寺まで観に行ってきました。今年はまさに認知症の日に相応しい1日を過ごせたと思います。ポッキーの日にポッキーを食べようとは思いませんが(11月11日は介護の日でもあります)、せっかく介護の世界にいるのですから、認知症の日をきっかけにして何らかの言動を起こせると良いですね。
映画「エターナルメモリー」は、作品としてはありきたりのものでした。認知症のドキュメンタリーは数多くありますし、描き方もセリフも取り立てて特別なものはありません。あくまでもチリで有名なジャーナリストがアルツハイマー型認知症を発症し、女優の妻が献身的に支えるという話です。ありきたりだから悪いということではなく、どこにでもある飾り気のない普通の話だからこそ、そこに私たちの人生の真実が垣間見えてくるのです。唯一、特別だと思えるのは、ジャーナリストと女優という職業柄、ふたりの昔の映像が残っていることです。それらが差しはさまれることによって、人間が当たり前に老いてゆくことが分かるし、何といっても、ふたりがどれだけ長い時間を経て愛し合ってきたかが伝わってくるのです。
主人公のアウグストは、アルツハイマー型認知症を発症して以来、ゆっくりと確実に記憶を失っていきます。かつては本を数多く読み、何冊も執筆して出版したほどのインテリジェンスを持ち合わせていましたが、病気には勝てません。少しずつ記憶を失ってゆく中、最後まで残るのは妻パウリナや家族、友人との思い出です。しかし、時として、そうした思い出や妻のことすらも忘れてしまう瞬間が訪れます。そして自分のことも忘れて、鏡に映る自分に向かって他人と話すように話しかけるのです。そうしたときも、パウリナはあきらめずに話しかけ、愛情を持って接することで、ふとアウグストは思い出を取り戻します。その様子を見ていると、妻との思い出は妻との関係性の間に存在することが分かります。
たとえば、どこかの場所に行ったとき、見覚えのある場所だと思い出したり、昔の記憶が蘇ってきたりすることがあるはずです。それは場所との関係性の間にあった記憶が呼び起されるからです。頭の中にあっても、その場所に行かないと取り出せない記憶なのです。同じことは人との記憶にも当てはまり、その人がいるからこそ記憶も存在するのです。それを私たちは思い出と言うのでしょう。逆に言うと、相手が目の前からいなくなってしまえば、その思い出は急激に色あせてしまったり、失われてしまったりするのかもしれません。記憶はアイデンティティです。だからこそ私たちは孤独を恐れるのです。アウグストはアルツハイマー型認知症になっても、最愛の妻パウリナがずっとそばにいることで、自分自身のアイデンティティを失わずに生きていられました。人生の最期に記憶を失ってしまっても、アイデンティティを失っていないアウグストがうらやましく思えました。