目を合わせて微笑むだけで

ゴールデンウイーク中は学校もお休みでしたから、競馬や格闘技を観に行ったりと、いつもは足を運べないところまで遠出したりしました。その中で、どこに行くにしても、ご飯を食べるお店や休憩のためのカフェに入ります。どのお店に入っても、注文をして、お金を払い、商品(食べ物や飲み物)を受け取るだけのやり取りが生まれます。同じ日にあらゆる場所で何度もそのやり取りを繰り返しているうちに、あることに気づきました。

目を合わせて、ニコっと微笑む店員さんと、そうではない店員さんに完全に分かれるということです。お店全体として前者が多いお店とそうではないお店にも分かれますので、教育の問題といえばそのとおりですが、時として同じお店の中でも前者も後者もいることがありますので個人の問題とも言えるでしょう。

 

私の理想とする接客としては、

「いらっしゃいませ」←ここのところで、目を合わせて、ニコっと微笑む

「ご注文はいかがしますか?」

「●●をひとつお願いします」

「ありがとうございます。●●が1つで〇〇〇円になります」

お金を受け取り、商品を渡す

「ごゆっくりお過ごしください」←再度、目を合わせて、ニコっと微笑む

 

最初と最後だけでも、客と目を合わせて、ニコっと微笑むことができれば良いのです。ゴールデンウイーク中に次々と客がやってくるお店は特に、余計なコミュニケーションをはさむ時間も余裕もないでしょうから、わずか0.5秒でできることを作業中に織り込めば良いのです。それができるだけで、その店員さんの印象も違いますし、お店全体の印象も大きく変わるのです。もちろん、目を合わせて、ニコっと微笑むことができる店員さんには親しみを感じ、そのお店にも温かみを感じます。その逆も然り。

 

なぜこのような違いが現れるのでしょうか。それは前述したようにお店の教育の問題でもありますし、店員さん個人の問題でもあります。そもそもお店の接客マニュアルの中に、目を合わせて、ニコっと微笑むが入っていない、もしくは入っているけれど(忙しいを言い訳に)徹底できていない。いずれにしても、最終的には店員さん個人がそうするかしないかを決めることはできるはずです。そう考えたとき、目を合わせて、ニコっと微笑むことができる店員さんは人間として仕事をしているのに対し、マスクをして無表情で必要最低限の作業しかしない店員さんは自らを機械化しているのです。

 

 

ただ一方的に店員さんだけの問題にしてもいけません。サービスを受ける側も、店員さんと目を合わせて、ニコっと微笑むことができているのでしょうか?私たち人間は相互性の生き物ですから、目を合わせて、ニコっと微笑んでも何も反応が返ってこないことが続くと、こんなことをしても無意味だと思うようになります。今はマスクをして無表情で作業をしている店員さんも、最初は素顔で目を合わせて、ニコっと微笑んでいたのかもしれません。ほとんどの人たちはサービスを提供する側にも受ける側にもなりえますので、どちらの立場に立つとしても、目を合わせて、ニコっと微笑めば良いのです。たったそれだけのことで、私たちは人間としてのやり取りができ、お互いが幸せな気持ちで日々を過ごすことができるのです。