教えを乞う

今年度からスタートしたシン・ボディメカニクス講座(1級)の生徒さんたちが成長する姿を見て、この歳になって、ようやく教えを乞うことの大切さを知りました。教えを乞うというと大げさかもしれませんが、教えてもらうことでコツが掴める、上達できたという体験をしました。独学で練習していたとしたら辿り着かなかったかもしれない、辿り着いたとしてもかなりの時間を要していたであろう点まで、一気に到達するのです。「教えてください」と言って、自らの意思で教えてもらいに行くことで、自分の人生が大きく広がるのです。

思い返せば、私は教えを乞うたことがほとんどない人生でした。教えてもらうことはあっても、教えを乞うたことはあまり記憶にありません。自分でできるという自信があるからでしょうか、それとも教えてもらうのは恥ずかしいというプライドが高いからでしょうか。小さい頃から教えを乞うことが苦手な子どもでしたし、部活や勉強も見様見真似で自力でやりたいタイプでした。それは大人になってからも同じで、上司や自分よりも優れている人に直接、「教えてください」とお願いすることはありませんでした。もちろん、人一倍練習や勉強をしますし、仕事も頑張るのですが、自分だけの力では限界があるのです。

 

なるべく早い時点で教えを乞うことが大切だと今は思います。自分で努力することなく、最初から何でもかんでも教えてもらおうとする他力本願とは違って、もちろん自分でも練習・勉強しつつも、早めから教えを乞うことです。そうすることで、上達のスピードも速く、しかも正しい方向に上達することができます。たとえば、私は若い頃ビリヤードをやっていましたが、かなりの時間を費やしたにもかかわらず、上手くなることができませんでした。最終的にはフォームに問題があったからです。それは早い段階から熟練者に教えを乞うていれば矯正できたはずですし、時間が経ってしまうと身体が変に覚えてしまっているので改善が難しいのです。

 

 

私たちは自分で何とかする、見て覚えるなどを美徳とする傾向にありますが、それは人生の彩りや奥行きを失わせる可能性があると思います。プライドは側に置いておいて、もっと早い段階で教えを乞うていれば、もっと(早く)上手くなったのにという後悔は多いです。30年前の自分に伝えるとすれば、「早く教えを乞いなさい」ではないでしょうか。たとえ教えを乞うためにお金が多少かかるとしても、実はできるだけ早く教えを乞うことで、お金も時間も浪費せずに済みます。若い人ほどドンドン教えを乞うべきですし、歳を取っても教えを乞う必要は十分にあります。教えを乞うことは、第三者の知識や技術を借りて、自分の人生を充実させることなのです。